わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

歪みとすき間と

 五時四十五分起床。平成の終わりと令和の始めの長い休みがようやく終わり、ニュースではその長さゆえに生じたさまざまな歪みやらすき間やらをしきりに報じている。社会や市場の構造、機能といった面だけでなく、個人の心にも歪みやすき間は生まれたようで、それを問題視する人も多い。画一的な休暇は多様化を志向する現代の流れに反するという声もあるが、ならば休みに働くのも多様化とも言えそうで、考え出すとたちまち思考がループする。

 仕事。朝イチで、連休中に進めておいた案件を確認し、一気に納品する。仕事の依頼やアポイントの連絡もちらほらと入ってきた。もう少しスロースタートなのかと思ったが、案外そうでもないらしい。休みは時に焦りを誘発するのだろうし、時間的余裕は実際になくなる。

 事務処理のために銀行にも行ったが、ビビるほどの混雑ではなかった。

 夜は5kmだけランニング。

 

 三浦雅士『孤独の発明』。うたげ=集団、孤心=個人。そこから生まれる文学的価値。著者は、軽くではあるが「笑い」についても言及している。

 片岡義男「窓の外を見てください」(「群像」2019年5月号掲載)。主人公の男性は感情に乏しく淡々と、かつ論理的・時系列的にモノを考え語る。これは片岡作品にある程度共通しているかもしれない。 

孤独の発明 または言語の政治学

孤独の発明 または言語の政治学

 
考える身体

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身体の零度 (講談社選書メチエ)

身体の零度 (講談社選書メチエ)

 

 

 

群像 2019年 05 月号 [雑誌]

群像 2019年 05 月号 [雑誌]

 

 

 

豆大福と珈琲 (朝日文庫)

豆大福と珈琲 (朝日文庫)

 
珈琲が呼ぶ

珈琲が呼ぶ

 

 

 

猫(の像)を探しに

 五時四十五分起床。連休最終日。やや雲は多めか。朝日に目を細めることなく、ゴミを出す。

 午前中は仕事。妻がつくってくれた太麺の焼きそばで昼食。

 午後は妻と散歩。荻窪方面へ。猫の彫刻(というかご神体というか…)が何体もあると噂の白山神社に行ってみるが、見つけられたのは三体だけ(神様扱いなら三柱とするべきか)。教会通りなどもぐるぐる回り、うわーこんな店知らないやーおいしそうだーこの猫の絵のスリッパいい感じだから買っちゃえーとか言いながらうろつき、夕食の食材など買って帰宅。

 夕方はAmazon Primeで「スター・トレック ビヨンド」を見る。リブート三部作の中では、一番エンタメ性が強いかな。

 夜は荻窪で買った刺身を食べた。

 

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束芋、その他の美しいもの

 六時起床。五月晴れ。

 午後より妻と外出。銀座にあるポーラミュージアムアネックスで「束芋 透明な歪み」を見る。束芋の個展は横浜美術館以来かな。油絵という新たな取り組みをしていたけれど、やはりこの作家の持ち味は線画とアニメーションでこそ発揮されるんだなあ、と感じた。軽くて薄っぺらいのに密閉された空間が、自分の外側にあるのか、内側にあるのかよくわからず、それが存在するということ自体が、自分にとって、どんどん重たくなっていく。だが足止めを食らわされるという感覚ではなく、むしろ、重たさを打ち消すために、無理やり走り出していく…そんな衝動も感じられる不思議な作品。油絵のほうは、一点に留まったまま変化していく感覚。そうなっている他者を、あるいは自分自身を、じっと見つめる冷静な目。

bijutsutecho.com

 

 ついでに松屋銀座に少し寄る。デザインギャラリー(だっけ?)で開催されていた「自生するデザイン」を見る。用の美を失ったデザインとは、アートではないのか? と思った。

designcommittee.jp

 ついでのついでに、というか、通りかかったので、銀座ソニーパークにも立ち寄った。エコでアートな物産展、って感じ? 空間デザインの完成度の高さはさすが。

www.ginzasonypark.jp

 

 夕方は松屋で買った、祇園の和菓子屋さん(名前忘れた)の柏餅を食べた。

 

科学的で王道

 六時起床。昨夜の15kmランニングの疲労を軽く引きずっている。少しスピードを出しすぎていたか。

 午前中はせっせと掃除。先日メルカリに出品していおいた、使わなくなったメルクールの両刃カミソリを出品していたのだが、無事に売却できたので発送する。いいのだけれど、時間がかかるんだよね、これ。肌が切れちゃうこともあるし。肌の弱いぼくには合わない。

 メルカリを発送しに外出したついでに荻窪ルミネの「ガーデンハウス」というベーカリー兼カフェまで足を伸ばし、サンドイッチを買って帰宅。妻と二人で食べた。1個500円もしたが、それだけの価値がある。軽くスパイスをきかせていて、使っているチーズやオリーブなどの質も高そうだ。

 今日も完全オフと決め込んでいるので、午後は加入しているのにほとんど動画視聴には使っていないAmazon Primeで映画を観ることに。そういえば「スター・トレック」のシリーズって子どもの頃から(いや、もっと前からだね)やっていたけれど、なんか左右対称の宇宙船のカタチとかスポックの耳がとんがっているところとかが好きになれなくて見ていなかったのだが、J.J.エイブラムスが監督した作品はちょっとよさそうだったような、ということで、食わず嫌い克服のために見てみたのだが、エンターテインメントとしておもしろすぎて驚いた。スターウォーズの世界にはスピリチュアルな精神論や宗教性みたいなものが満ちているけれど、こっちはかなり科学的で、SFって本来こういうものなんだよなあ、王道ってコレのことかも、などと思いつつ、「スター・トレック」と「スター・トレック イントゥ・ダークネス」の二本を立てつづけに見た。連休中に、もう一本ある「スター・トレック ビヨンド」も見るつもりだ。

 雷が激しく鳴っていたようだが、映画に夢中で今ひとつよくわかっていない。

 

 夜はランニングへ。雨上がりの善福寺川沿いを7km。今日はランナーが多めだったな。猫も多かった。

 

 読書は片岡義男「窓の外を見てください」(「群像」2019年5月号掲載)を少しだけ。

 

 

 

桜餅とジャスミン

 五時四十五分起床。晴れ。風はさほど吹かず、花も咲き、肌も目も心地よい。昨日で連休中に片付けるべき仕事はすべて終わらせたので、今日は完全オフに、と思っていたものの、午前中は掃除、午後はアイロン、買い出し、そして夕食づくり、と、家事に終始してしまい、休みらしいことは何一つできず。

 妻は友人と仕事でも付き合いのある保護猫カフェへ。一緒に出かけたMさんお手製の桜餅をいただいた。この方は甘いものをつくるのが趣味で、ちょいちょい、いろいろといただいている。うまし。ありがとうございます。

 夜はランニングへ。井荻、上井草、関町、そして吉祥寺の住宅街を彷徨うようにグネグネと、15km。今日もジャスミンの濃厚な甘い香りの中を走った。

 

 三浦雅士『孤独の発明』。大岡信「うたげと孤心」に見る集団と個、あるいは創作の源泉。「集団≒社会」と「個=私」という視点から見た、詩の誕生するメカニズム。

 

孤独の発明 または言語の政治学

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考える身体

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身体の零度 (講談社選書メチエ)

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青春の終焉

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私という現象 (講談社学術文庫)

私という現象 (講談社学術文庫)

 

 

初ウンコ初シッコ初オナラ

 今朝も五時四十五分起床。朝からさまざまなメディアで令和初、令和最初の、といった言葉が乱用されているが、自分自身はというと、それほど面白がっていない。子どもの頃なら正月を迎えるたびに、今年初ウンコだ初シッコだ初オナラだ、と喜んでいた記憶があるが、いつの間にかそんな習慣(とは言えないか)は消えてしまった。言葉と時節で遊べる無邪気さが消えていった、ということか。

 今日も仕事。某案件のパンフレットのコピーを延々と。昼食はパンを食べた。

 夜はランニングへ。この季節は謎のアレルギーで目が痒くなり鼻の粘膜も切れて血混じりの鼻水が出るので、昼間に走る気があまり起きない。夜の方が軽くなるようだ。ジャスミンの香りに包まれながら、7km。包まれるというよりは、かき混ぜる、かき乱す、という感覚に近いか。

 

 片岡義男「窓の外を見てください」(「群像」2019年5月号掲載)。よく考えるとかなり不自然な出来事が起きているはずなのに、すべての登場人物が、その状況を淡々と受け入れている。村上春樹の小説にもこんな雰囲気があるが、片岡義男のほうがすんなり受け入れられるのは、おそらく文体の力(というよりもぼくの個人的な好み)なのだろう。

 

群像 2019年 05 月号 [雑誌]

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珈琲が呼ぶ

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豆大福と珈琲 (朝日文庫)

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スローなブギにしてくれ (角川文庫)

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くわえ煙草とカレーライス

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祝賀の空白

 五時四十五分起床。令和最初の日となる。ニュースから昨夜の大騒ぎの様子が次々と聞こえてくるが、新年のような、あるいはハロウィンのような、さらにはサッカーワールドカップで日本チームが勝利したときのような馬鹿騒ぎとはおよそ無縁だったようで、警察の管理体制が功を奏したと言うこともあるのだろうが、騒ぐというよりは、喜び合いながら迎えるという感覚に近い。ただ、その喜んでいる人たちがどことなくもやっとして、あるいは空白のようなものを抱え込んだまま喜んでいるように見えるのは、改元を祝うという経験が存命する日本人にはまったくないからなのだろう。祝賀にもノウハウ、経験知が必要ということか。

 降ったり止んだりの雨。仕事。

 

 読書は片岡義男「窓の外を見てください」。主人公は若き小説家らしく、彼のネタ探しの様子がそのまま小説化されている、という側面もあるため、ちょっとメタ文学っぽいというか、二重の構造になっている。主人公の行動は気ままで迷走気味、しかし他者に翻弄されているのではなく、その場の流れと思い付きという感覚は強いものの、ある程度自分自身の意志が関わっている。この微妙なスタンスが、いかにもこの作家っぽいと思う。

 

群像 2019年 05 月号 [雑誌]

群像 2019年 05 月号 [雑誌]

 

 

 

珈琲が呼ぶ

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豆大福と珈琲 (朝日文庫)

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彼のオートバイ、彼女の島