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わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・哲学・思想の読書日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

哲学

大澤真幸「〈世界史〉の哲学 近代篇7 〈金貨/紙幣〉としての貨幣」

「群像」2017年5月号掲載。 貨幣の発生と流通の過程を考えることは、この世界を形づくる、あるいは動かしている価値や基本原理を考えることにつながる。お金にならない価値がある、みたいな話も当然あるわけだが、その価値の伝播・拡散や自分自身が得る満足…

三浦雅士「言語の政治学」(10)死の視線

「群像」2017年5月号掲載。半分くらい読んで、忙しくなったのでしばらく放置しちゃったんだよね。 司馬の「街道をゆく」に収録されている「そば」というエッセイと、小林秀雄の「無常といふ事」の共通点と差異を見出した著者は、「俯瞰する」という視点の有…

榎本俊二『ムーたち』

仕事が立て込んでいたので、読むなら軽いマンガかな、と書棚に並ぶこれを読みはじめたわけだが、ノリは軽いけど内容が深遠なんだよね。…ま、わかってて読みはじめたわけだけど。 ムーたち(1) (モーニングコミックス) 作者: 榎本俊二 出版社/メーカー: 講…

三浦雅士「言語の政治学」(9)視覚の零度

「群像」2017年4月号掲載。 仏教の本覚思想や進化論、さらにはヘルマン・ヘッセとトーマス・マンの作品の決定的な違いなど、さまざまなソースを引っ張り出しながら、原言語としての視覚について深く論じているのだけれど、いろんなものに言及しすぎていて、…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学」近代編5 資本主義の猥褻な精神

「群像」2017年3月号掲載。 ベンジャミン・フランクリンの『プロテスタンティズムと資本主義の精神』やラカンの精神分析(さらにマルクス主義、というよりマルクスの思想)をベースに、資本主義の本質がどこにあるか、そしてなぜ商人が発達したイスラーム圏…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学 近代編4 貨幣の抽象化作用」

「群像」2017年2月号掲載。貨幣の本質は「負債」の流通化にある、ということなのかな。その後、貝殻だの麦だのといった疑似的な貨幣から硬貨という現代のものと同等の貨幣が登場するまでの経緯や歴史的背景を著者は考察していくのだが、古代ギリシャでの貨幣…

三浦雅士「言語の政治学(7) 人は奴隷から生まれる」

「群像」2017年2月号掲載。 奴隷というと差別的で人権無視なイメージがあるが、使役とか労働とか命令とか服従とか階級とか主従関係とか、そんな言葉を使って説明すればなんとなく納得できそうな。そこには責任の有無という問題も深くからんでくる。そして、…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学 近代篇3 貨幣論への迂回」

歴史の中で貨幣の価値が普遍的なものとして形成される過程について。脱中心化。他者への期待の連鎖。うん。そういうことだよね。 群像 2017年 01 月号 [雑誌] 出版社/メーカー: 講談社 発売日: 2016/12/07 メディア: 雑誌 この商品を含むブログを見る <世界…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学(87) 近代篇2 カトリックの政治革命/プロテスタントの精神革命」

カント/ヘーゲルのドイツ観念論とフランス革命の関係。うん。 群像 2016年 12 月号 [雑誌] 出版社/メーカー: 講談社 発売日: 2016/11/07 メディア: 雑誌 この商品を含むブログを見る 大澤真幸の作品はこちら。

大澤真幸「〈世界史〉の哲学(87) 近代篇2 カトリックの政治革命/プロテスタントの精神革命」

「群像」2016年12月号掲載。フランス革命はなぜカトリックが主流のフランスで起きたのか。現代で言えばプロテスタントはリベラル、カトリックが保守って感じなのに。……ってところを紐解いていく。鍵となるのは、フランスがイギリスなどのように宗教革命を経…

戸田山和久『哲学入門』

ひとまず本編読了。今は参考書籍のページ(も本編と変わらない感じ)を読んでいる。 唯物論の範囲をはみ出した、でも科学的なアプローチでこの世界の仕組みについて迫った意欲作だと思う。哲学は人生訓の集合体なんかじゃない。でも、世界を知ること、人間と…

戸田山和久『哲学入門』

「自由」について。原子論に立つとあらゆる存在は物理法則によって動いているものであり、宇宙誕生の瞬間から物理法則にしたがって動くのであるからすべてはあらかじめプログラムされており、自由意思などというものは存在しない、という考え方などなどを否…

熊野純彦「美と倫理のはざまで カントの世界像をめぐって」(11)

「群像」2016年9月号掲載。副題は「「究極的目的」と倫理的世界像 --世界はなぜこのように存在するのか--」。 人間という理性的存在によって自然界は目的の連鎖を形成する。うん。 群像 2016年 09 月号 [雑誌] 出版社/メーカー: 講談社 発売日: 2016/08/06 …

大澤真幸「〈世界史〉の哲学 近世篇31 ダミヤンの死/マラーの死」

「群像」2016年9月号掲載。ああ、腰を据えて読む時間がもっと増えますように。 18世紀ごろまでつづいた、王制を汚す犯罪者や反逆者に対して行われた超残酷な公開処刑は王の政治的身体の延長(その絶対性の提示)であり一種の祝祭として行われたという考察は…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学」

群像2016年7月号掲載「近世篇29 狂気の理性」、同8月号掲載「近世篇30 万有引力と最後の魔術師」。一気に読んでみた。 中世までは狂人たちと健常者が共存する社会が成立していたが、近世になると狂人は特別視される。そこには排除と神聖化が共存している、と…

熊野純彦「美と倫理のはざまで(9)」

「群像」2016年7月号掲載。副題は「「自然の目的」と「自然目的」 --自然の外的合目的性と内的合目的性--」。 自然界に存在するものの「目的」の相関関係。究極の目的へと向かうもの、目的が円環化するもの…。人間という主体による解釈という罠、なんて書い…

戸田山和久『哲学入門』

読書はスローペースで読みすすめているコレを少しだけ。やっと「表象」の章が終わり、「目的」へ。自然界にあふれる情報の主体的な認識と解釈。情報の交通が自然発生するメカニズムって感じかな。この本、『科学的哲学入門』としたほうがいいんだけどな。 そ…

熊野純彦「美と倫理とのはざまで カントの世界像をめぐって」(6)

「群像」2016年4月号掲載。副題は「演繹の問題と経験を超えるもの --趣味判断の演繹と趣味のアンチノミー--」。 読んだいる間はある程度理解できているのだけれど、ここにコンパクトにまとめるのが難しい……。 群像 2016年 04 月号 [雑誌] 出版社/メーカー: …

鷲田清一×大澤真幸「人生の意味」

「群像」2016年4月号の特集「人生の意味?」の冒頭を飾る対談。ぼくが好きな(というか感銘を受けているというか共感しているというか学んでいるというか)二人の思想家の対談。多くの人が経験しているであろう事柄を、哲学者、社会学者らしい視点からきっち…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学」近世篇26 〈聖所〉の前のタブロー

国家理性の誕生、そして近世絵画との連関。 ベラスケスの描いた「ラス・メニーナス」、そしてフェルメールの「絵画芸術」という作品に何重にも仕込まれた自意識的な作意、あるいは寓意。フェルメールのほうはベラスケスほどトリッキーではないのだが。これら…

熊野純彦「美と倫理のはざまで カントの世界像をめぐって(5)」

カントの考える、自然が内包する美と崇高さについて。すべてはこの部分に集約されている。ちょっと長いけれど引用。 自然は測りがたく、その広がりと威力とを直感的に評価するさいに、人間の能力は不十分である。にもかかわらず私たちの理性のうちにふくまれ…

熊野純彦「美と倫理のはざまで カントの世界像をめぐって(5)」

「群像」2016年3月号掲載。まだ3ページくらいしか読んでないんだけれどね。先月号だし。 章タイトルは「崇高とは無限のあらわれである --隠れた神は自然の中で顕現する--」。 著者は、自然は美しいものと崇高なるものにわけられるとカントは考えていた、とし…

鷲田清一『ちぐはぐな身体 ファッションって何?』読了

朝日新聞で「折々のことば」を毎日連載している鷲田清一の、二十年くらい前に書かれたファッション論。「わたし」と世界との関係を、ゆがんでいてすべてを認識しきれない、つまり自分自身でありながらも自分から遠く想像で全体像を掴むしかない危うい存在で…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学 近世篇24 王朝、王冠、そして……威厳」

「群像」2016年1月号掲載。「王の二つの身体」の掘り下げはまだまだつづく。王は個人、一人の人間だが、王の王たる印である王冠はキリストの奇跡の象徴であり、王が政治を司る者であることの証明であり、威厳の象徴である。そして、継承される為政者は不死鳥…

熊野純彦「美と倫理のはざまで カントの世界像をめぐって」(3)

「群像」1月号掲載。哲学の領域とその区分について。純粋理性の哲学=予備学+哲学的認識の全体。 批判とは否定ではなく、認識の可能性と不可能性のあいだで限界線を引き、境界を設定する作業のこと。 形而上学とは、実質的な哲学認識のこと。形而上学=自然…

鷲田清一『ちぐはぐな身体 --ファッションって何?』

90年代に発表された鷲田さんのファッション論だが、「身体」という視点から書いているところがおもしろい。ヒマをみて、ちまちまと読み進めている。 身体性とオタクの関連性について言及している箇所が興味深かった。自分とは「他者の他者」、すなわち他人か…

今年おもしろかったもの、感慨ぶかかったもの 2015年

《文学》※新刊だけ ●奥泉光「ビビビ・ビ・バップ」(「群像」連載) ●いとうせいこう「我々の恋愛」(「群像」連載) ●筒井康隆『モナドの領域』 ●古井由吉『雨の裾』 ●高橋源一郎『動物記』 ●磯崎憲一郎『電車道』 ●上田岳弘「異郷の友人」(「群像」12月号…

「徹底討論 21世紀の暫定名著 一般書篇」読了

ビッグデータに依存した(政治を含めた)社会づくりや経済活動の先には「想定外」という落とし穴があるのではないか。なぜならビッグデータは顕在化した出来事の集合体、そしてそれを読み説く(=分析する)ためのものでしかないから。そこで推測された未来…

「徹底討論 21世紀の暫定名著 一般書篇」

「群像」2016年1月号掲載。一般書篇は現代思想、哲学、社会学、心理学、それから自然科学なんかも含めている。ま、文学以外ってことなんでしょうね、文芸誌だから。 まだ少ししか読んでいないのだが、柄谷行人の影響力の大きさを再認識。去年話題になったピ…

熊野純彦「美と倫理のはざまで カントの世界像をめぐって」(2)

「群像」2015年12月号掲載。 自然美と芸術美の本質的な違いについて。前者は自然発生的で偶発的で普遍的(主観的普遍性)な美でその価値を誰もが暗黙のうちに共有でき、それゆえにストレートに「善きもの」と受け取りやすいという性質があるが、後者は作意と…

熊野純彦「美と倫理とのはざまで カントの世界像をめぐって」(1)

「群像」2015年11月号掲載。カントの『判断力批判』をつうじて「美」の本質を解き明かす試み、って言っていいのかな。「美は目的の表象を欠いた合目的性である」という主張。美を感じる主体にとって美しいと思う対象は当然ながら客体なわけだけれど、その客…

熊野純彦「美と倫理とのはざまで カントの世界像をめぐって」

「群像」2015年11月号から始まった熊野純彦の新連載の第一回目。まだちょっとしか読めてないからよくわかんないや。カントの三大批判のラストを飾った『判断力批判』の考察がメインになるみたい。大学生の時に『純粋理性批判』と『実践理性批判』は読んだけ…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学 近世篇22 遠い祖国と短い時間」

「群像」2015年10月号掲載。西洋における「王の二つの身体」に至るプロセスの一部として、著者は「祖国patria」という概念を引っ張り出す。ぼくらの感覚では、祖国とは自分の生まれ育ったこの国のことを指すわけだが、キリスト教文化においては、祖国とは神…

戸田山和久『哲学入門』

次章は「表象」。ここまで考察してきた意味、機能、そして情報というテーマが、実はこの「実体以外のものを思い浮かべる/象徴化する」ということに集約されていく。 記号や心的表象が自分以外の何ものかを指し示すことを「志向性」と呼ぶ。そして記号には絶…

戸田山和久『哲学入門』

第三章「情報」。数学的なモノの考え方から、情報伝達の仕組み、つまり発信側から着信側への意味の伝達の仕組みを把握することで、哲学的な世界認識へとつなげていこうという試み、って理解していいのかな? 情報は言葉だけでは構成されない、という点。それ…

戸田山和久『哲学入門』

第3章「情報」。コミュニケーション/通信という視点から、情報とは何かを探っている。その考え方/手法がユニーク。情報理論を、情報の持つ意味(伝達すべき内容ってことだね)をバッサリと切り捨ててその量のみに着目し、数学として数式化したうえで論じる…

戸田山和久『哲学入門』

第2章「機能」。意味、目的、そして機能は、実は似ているという考え方からスタート。なるほど、確かに缶切りという言葉の意味は「カンヅメを開けるための道具」だそ、缶切りの目的は「カンヅメを開けること」、そしてカンヅメの機能も「カンヅメを開けるこ…

戸田山和久『哲学入門』

第1章「意味」読了。「意味する」ということを普通の因果関係によって説明する(=自然化する)ための手法として、著者はルース・ミリカン(この人知らない)の「目的論的意味論」を紹介する。モノや概念が持つ「本来の機能」を自然化(因果関係による説明)…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学 近世篇21 世俗の神秘体」

「群像」2015年9月号掲載。王の身体の二重性についての考察はまだまだつづく。神/キリストが規定した(と考えられる)自然法(=理性)があり、それを正義として規定する存在として王が存在し、王が規定した正義の実体として法が存在するというヒエラルキー…

戸田山和久『哲学入門』

第1章「意味」を読み進めている。人工知能は意味を理解していない、ということをスタート地点に、どんどん深堀りされていく。そもそも意味というものは解釈されて初めて成立する、という考えを、自然科学的な立場から著者は否定する。もっと自然発生的に存在…

戸田山和久『哲学入門』

「第1章 意味」。こっちもがっつり読んでいるわけではないのだが…。 意味とは何か、というとらえどころのない問いに対し、これを考える契機として、著者は「知性」というキーワードに着目し、被験者に機械と人間の両方とディスプレイ経由で会話させ、どちら…

戸田山和久『哲学入門』

ひとまず前書きみたいな序章みたいなところしか読んでないんだけどね。 こういう本は三木清とかヤスパースとか木田元とかの大御所哲学者が書く物なのだろうけれど(木田元が書いたのは『反哲学入門』だけどね)、実際にはそうでもないようで(ぼくは尊敬して…

鷲田清一『〈ひと〉の現象学』読了

(ぼくの敬愛する)ヨウジヤマモトをはじめとするファッション/モードの哲学論考、そして「臨床哲学」の実践者でもある著者の、2013年の作品。「ひと」とは何なのかを、「何のために生きるのか」「なぜ生きるのか」といった青臭くてステレオタイプ的な切り…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学 近世篇18 知性の不安」

「群像」2015年6月号掲載。近代科学とは「経験」に対する不信から「実験」という手法を確立することによって生まれたが、これは知性の絶対性を確立したというわけではなく、逆に知性に対するより深い不信を生み出してしまっている、と著者は説く。知性はいく…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学 近世篇(18) 知性の不安」

「群像」6月号掲載。まだ半分しか読めてないんだけどさ。 前回は、中世までは分離していた知性の主体と経験が近世においては同一の主体に統一され、それが近代科学の成立や大航海時代のの冒険(探検)につながっていく、という話だったのだが、今回はこの過…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学 近世篇15 宗教と世俗化のERP相関」

「群像」2015年2月号掲載。 近代化とは啓蒙や合理化によって社会が世俗化し宗教の機能が限定化されること、と冒頭に定義した上で、著者は西洋の近代化は、実は宗教の機能を限定してはおらず、むしろ世俗化と宗教化が同時に進行している、と指摘している。「E…

熊野さんの新書を上下巻セットで購入

「群像」11月号に掲載されていた大澤真幸/熊野純彦/鷲田清一という現代を代表する三人の批評家の鼎談がやたらめったらおもしろかったのだが、残念ながら熊野純彦の作品は読んだことがなかった、というわけでポチッてみた次第。熊野純彦といえばレヴィナス…

大澤真幸/熊野純彦/鷲田清一「批評とは何か」読了

「群像」11月号掲載。小説に書かれるシンギュラリティー(特異性)、その先にある、作者すらも気づいていなかったかもしれぬ普遍性を読み取り、顕在化までの経緯を鮮やかに描き出すこと、それこそが批評の役割なのだ、と大澤氏は説く。ぼくが惹かれる小説は…

大澤真幸/熊野純彦/鷲田清一「批評とは何か」

「群像」2014年11月号掲載。アカデミズムと現代の批評・評論シーンとの距離感、そしてなによりも、論文と評論の違いという問題が、よくわかる。ぼくが興味をもつのは、評論であり、批評だ。このベクトルで戦いつづけているのが、このテーマについて話しあっ…