わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・哲学・思想の読書日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

哲学

大澤真幸「〈世界史〉の哲学 近代篇12 予定説がとり残したもの」

「群像」2017年11月号掲載。 キリスト教の「最後の審判」と資本主義における資本の再投下の共通性。最後の審判の無限ループ化がよく理解できず、思考停止状態…。著者がいっていることを別の言い方にすると、終わりと始まりの共存、否定と肯定の共存というこ…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学」近代編10 終わりなき終わり

「群像」2017年9月号掲載。資本主義以前の社会形態(貨幣、あるいは交換価値そのものが存在しない時代)と、資本主義との本質的な違いを、「労働」のあり方に求めている。より具体的にいえば、その労働は誰のためのものか、という問題。非資本主義(前資本主…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学」近代篇9 召命と階級」

「群像」2017年8月号掲載。ルター訳新約聖書で「召された」という表現がドイツ語ではBerufにあてられていることにヴェーバーが着目している点を出発点に、資本主義の根本である「階級」の概念の本質に迫っている。ヨーロッパの歴史のなかで一度は廃止された…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学」近代篇8 商品の救済/人間の救済

「群像」2017年7月号掲載。 商品が交換によって貨幣となり、貨幣が交換によって別の商品となる、という資本主義の基本的な価値交換のシステムと、宗教との関連性。 無限の富の追求が根底にある資本主義がキリスト教のような一神教のもとで発達したことの複雑…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学 近代篇7 〈金貨/紙幣〉としての貨幣」

「群像」2017年5月号掲載。 貨幣の発生と流通の過程を考えることは、この世界を形づくる、あるいは動かしている価値や基本原理を考えることにつながる。お金にならない価値がある、みたいな話も当然あるわけだが、その価値の伝播・拡散や自分自身が得る満足…

三浦雅士「言語の政治学」(10)死の視線

「群像」2017年5月号掲載。半分くらい読んで、忙しくなったのでしばらく放置しちゃったんだよね。 司馬の「街道をゆく」に収録されている「そば」というエッセイと、小林秀雄の「無常といふ事」の共通点と差異を見出した著者は、「俯瞰する」という視点の有…

榎本俊二『ムーたち』

仕事が立て込んでいたので、読むなら軽いマンガかな、と書棚に並ぶこれを読みはじめたわけだが、ノリは軽いけど内容が深遠なんだよね。…ま、わかってて読みはじめたわけだけど。 ムーたち(1) (モーニングコミックス) 作者: 榎本俊二 出版社/メーカー: 講…

三浦雅士「言語の政治学」(9)視覚の零度

「群像」2017年4月号掲載。 仏教の本覚思想や進化論、さらにはヘルマン・ヘッセとトーマス・マンの作品の決定的な違いなど、さまざまなソースを引っ張り出しながら、原言語としての視覚について深く論じているのだけれど、いろんなものに言及しすぎていて、…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学」近代編5 資本主義の猥褻な精神

「群像」2017年3月号掲載。 ベンジャミン・フランクリンの『プロテスタンティズムと資本主義の精神』やラカンの精神分析(さらにマルクス主義、というよりマルクスの思想)をベースに、資本主義の本質がどこにあるか、そしてなぜ商人が発達したイスラーム圏…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学 近代編4 貨幣の抽象化作用」

「群像」2017年2月号掲載。貨幣の本質は「負債」の流通化にある、ということなのかな。その後、貝殻だの麦だのといった疑似的な貨幣から硬貨という現代のものと同等の貨幣が登場するまでの経緯や歴史的背景を著者は考察していくのだが、古代ギリシャでの貨幣…

三浦雅士「言語の政治学(7) 人は奴隷から生まれる」

「群像」2017年2月号掲載。 奴隷というと差別的で人権無視なイメージがあるが、使役とか労働とか命令とか服従とか階級とか主従関係とか、そんな言葉を使って説明すればなんとなく納得できそうな。そこには責任の有無という問題も深くからんでくる。そして、…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学 近代篇3 貨幣論への迂回」

歴史の中で貨幣の価値が普遍的なものとして形成される過程について。脱中心化。他者への期待の連鎖。うん。そういうことだよね。 群像 2017年 01 月号 [雑誌] 出版社/メーカー: 講談社 発売日: 2016/12/07 メディア: 雑誌 この商品を含むブログを見る <世界…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学(87) 近代篇2 カトリックの政治革命/プロテスタントの精神革命」

カント/ヘーゲルのドイツ観念論とフランス革命の関係。うん。 群像 2016年 12 月号 [雑誌] 出版社/メーカー: 講談社 発売日: 2016/11/07 メディア: 雑誌 この商品を含むブログを見る 大澤真幸の作品はこちら。

大澤真幸「〈世界史〉の哲学(87) 近代篇2 カトリックの政治革命/プロテスタントの精神革命」

「群像」2016年12月号掲載。フランス革命はなぜカトリックが主流のフランスで起きたのか。現代で言えばプロテスタントはリベラル、カトリックが保守って感じなのに。……ってところを紐解いていく。鍵となるのは、フランスがイギリスなどのように宗教革命を経…

戸田山和久『哲学入門』

ひとまず本編読了。今は参考書籍のページ(も本編と変わらない感じ)を読んでいる。 唯物論の範囲をはみ出した、でも科学的なアプローチでこの世界の仕組みについて迫った意欲作だと思う。哲学は人生訓の集合体なんかじゃない。でも、世界を知ること、人間と…

戸田山和久『哲学入門』

「自由」について。原子論に立つとあらゆる存在は物理法則によって動いているものであり、宇宙誕生の瞬間から物理法則にしたがって動くのであるからすべてはあらかじめプログラムされており、自由意思などというものは存在しない、という考え方などなどを否…

熊野純彦「美と倫理のはざまで カントの世界像をめぐって」(11)

「群像」2016年9月号掲載。副題は「「究極的目的」と倫理的世界像 --世界はなぜこのように存在するのか--」。 人間という理性的存在によって自然界は目的の連鎖を形成する。うん。 群像 2016年 09 月号 [雑誌] 出版社/メーカー: 講談社 発売日: 2016/08/06 …

大澤真幸「〈世界史〉の哲学 近世篇31 ダミヤンの死/マラーの死」

「群像」2016年9月号掲載。ああ、腰を据えて読む時間がもっと増えますように。 18世紀ごろまでつづいた、王制を汚す犯罪者や反逆者に対して行われた超残酷な公開処刑は王の政治的身体の延長(その絶対性の提示)であり一種の祝祭として行われたという考察は…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学」

群像2016年7月号掲載「近世篇29 狂気の理性」、同8月号掲載「近世篇30 万有引力と最後の魔術師」。一気に読んでみた。 中世までは狂人たちと健常者が共存する社会が成立していたが、近世になると狂人は特別視される。そこには排除と神聖化が共存している、と…

熊野純彦「美と倫理のはざまで(9)」

「群像」2016年7月号掲載。副題は「「自然の目的」と「自然目的」 --自然の外的合目的性と内的合目的性--」。 自然界に存在するものの「目的」の相関関係。究極の目的へと向かうもの、目的が円環化するもの…。人間という主体による解釈という罠、なんて書い…

戸田山和久『哲学入門』

読書はスローペースで読みすすめているコレを少しだけ。やっと「表象」の章が終わり、「目的」へ。自然界にあふれる情報の主体的な認識と解釈。情報の交通が自然発生するメカニズムって感じかな。この本、『科学的哲学入門』としたほうがいいんだけどな。 そ…

熊野純彦「美と倫理とのはざまで カントの世界像をめぐって」(6)

「群像」2016年4月号掲載。副題は「演繹の問題と経験を超えるもの --趣味判断の演繹と趣味のアンチノミー--」。 読んだいる間はある程度理解できているのだけれど、ここにコンパクトにまとめるのが難しい……。 群像 2016年 04 月号 [雑誌] 出版社/メーカー: …

鷲田清一×大澤真幸「人生の意味」

「群像」2016年4月号の特集「人生の意味?」の冒頭を飾る対談。ぼくが好きな(というか感銘を受けているというか共感しているというか学んでいるというか)二人の思想家の対談。多くの人が経験しているであろう事柄を、哲学者、社会学者らしい視点からきっち…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学」近世篇26 〈聖所〉の前のタブロー

国家理性の誕生、そして近世絵画との連関。 ベラスケスの描いた「ラス・メニーナス」、そしてフェルメールの「絵画芸術」という作品に何重にも仕込まれた自意識的な作意、あるいは寓意。フェルメールのほうはベラスケスほどトリッキーではないのだが。これら…

熊野純彦「美と倫理のはざまで カントの世界像をめぐって(5)」

カントの考える、自然が内包する美と崇高さについて。すべてはこの部分に集約されている。ちょっと長いけれど引用。 自然は測りがたく、その広がりと威力とを直感的に評価するさいに、人間の能力は不十分である。にもかかわらず私たちの理性のうちにふくまれ…

熊野純彦「美と倫理のはざまで カントの世界像をめぐって(5)」

「群像」2016年3月号掲載。まだ3ページくらいしか読んでないんだけれどね。先月号だし。 章タイトルは「崇高とは無限のあらわれである --隠れた神は自然の中で顕現する--」。 著者は、自然は美しいものと崇高なるものにわけられるとカントは考えていた、とし…

鷲田清一『ちぐはぐな身体 ファッションって何?』読了

朝日新聞で「折々のことば」を毎日連載している鷲田清一の、二十年くらい前に書かれたファッション論。「わたし」と世界との関係を、ゆがんでいてすべてを認識しきれない、つまり自分自身でありながらも自分から遠く想像で全体像を掴むしかない危うい存在で…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学 近世篇24 王朝、王冠、そして……威厳」

「群像」2016年1月号掲載。「王の二つの身体」の掘り下げはまだまだつづく。王は個人、一人の人間だが、王の王たる印である王冠はキリストの奇跡の象徴であり、王が政治を司る者であることの証明であり、威厳の象徴である。そして、継承される為政者は不死鳥…

熊野純彦「美と倫理のはざまで カントの世界像をめぐって」(3)

「群像」1月号掲載。哲学の領域とその区分について。純粋理性の哲学=予備学+哲学的認識の全体。 批判とは否定ではなく、認識の可能性と不可能性のあいだで限界線を引き、境界を設定する作業のこと。 形而上学とは、実質的な哲学認識のこと。形而上学=自然…

鷲田清一『ちぐはぐな身体 --ファッションって何?』

90年代に発表された鷲田さんのファッション論だが、「身体」という視点から書いているところがおもしろい。ヒマをみて、ちまちまと読み進めている。 身体性とオタクの関連性について言及している箇所が興味深かった。自分とは「他者の他者」、すなわち他人か…