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わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・哲学・思想の読書日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

三浦雅士「言語の政治学」(9)視覚の零度

「群像」2017年4月号掲載。 仏教の本覚思想や進化論、さらにはヘルマン・ヘッセとトーマス・マンの作品の決定的な違いなど、さまざまなソースを引っ張り出しながら、原言語としての視覚について深く論じているのだけれど、いろんなものに言及しすぎていて、…

三浦雅士「言語の政治学」(9) 視覚の零度

「群像」2017年4月号掲載。 仏教の本覚思想と文学の関連性、そしてブレイク、ヘルダーリン、ヘッセといった自然と同一するような描写の多く見られる詩人たちの作品と傾向から、著者は言語の身体性、視覚性、そして見るという行為に潜む対象との自己同一化の…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学」近代編5 資本主義の猥褻な精神

「群像」2017年3月号掲載。 ベンジャミン・フランクリンの『プロテスタンティズムと資本主義の精神』やラカンの精神分析(さらにマルクス主義、というよりマルクスの思想)をベースに、資本主義の本質がどこにあるか、そしてなぜ商人が発達したイスラーム圏…

三浦雅士「言語の政治学(8)」 土着と外来

井筒俊彦の仏教論にヘーゲルの「精神現象学」、アウフヘーベンをぶっつけて思いきり批判。おもしろいんだけど、ヘーゲルって理解しきれないんだよねえ。 精神現象学 (上) (平凡社ライブラリー (200)) 作者: G.W.F.ヘーゲル,樫山欽四郎 出版社/メーカー: 平凡…

三浦雅士「言語の政治学(8)」 土着と外来

「群像」2017年3月号掲載。 日本文学、そして日本語の底流に仏教があるのでは、という考えから、仏教学者たちの思想に踏み込みはじめているのだが、リルケの思想が芭蕉や本居宣長に通じている、と主張する井筒俊彦という仏教学者の『意識と本質』という作品…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学 近代編4 貨幣の抽象化作用」

「群像」2017年2月号掲載。貨幣の本質は「負債」の流通化にある、ということなのかな。その後、貝殻だの麦だのといった疑似的な貨幣から硬貨という現代のものと同等の貨幣が登場するまでの経緯や歴史的背景を著者は考察していくのだが、古代ギリシャでの貨幣…

三浦雅士「言語の政治学(7) 人は奴隷から生まれる」

「群像」2017年2月号掲載。 奴隷というと差別的で人権無視なイメージがあるが、使役とか労働とか命令とか服従とか階級とか主従関係とか、そんな言葉を使って説明すればなんとなく納得できそうな。そこには責任の有無という問題も深くからんでくる。そして、…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学 近代篇3 貨幣論への迂回」

歴史の中で貨幣の価値が普遍的なものとして形成される過程について。脱中心化。他者への期待の連鎖。うん。そういうことだよね。 群像 2017年 01 月号 [雑誌] 出版社/メーカー: 講談社 発売日: 2016/12/07 メディア: 雑誌 この商品を含むブログを見る <世界…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学 近代篇3 貨幣論への迂回」

「群像」2017年1月号掲載。 断片化していたコミュニティは長い時間をかけてつながりをもち大型化していく、というのが歴史の大きな流れ。その中で生まれた「帝国」という存在は、運営(政治って言っていいのかな。あるいは「統合」なのかも)のエンジンとし…

佐々木敦「新・私小説論(11)「一人称」の発見まで(承前)」

「群像」2017年1月号掲載。主語の省略の問題と小説の人称の問題。誰が語るのか、という主観/視点の固定化(あるいは流動化)は、映画のカメラワークに似ていなくもない。 群像 2017年 01 月号 [雑誌] 出版社/メーカー: 講談社 発売日: 2016/12/07 メディア:…

三浦雅士「言語の政治学(6) 光のスイッチ」

折口信夫の視覚/呪の考えから、一気にメルロ・ポンティへ。でも、全然論理的に飛躍していない。不思議なつながりだ、と思ったが、折口の仕事の永遠普遍性を考えたら、アタリまえの事なのかも。 群像 2017年 01 月号 [雑誌] 出版社/メーカー: 講談社 発売日:…

三浦雅士「言語の政治学(6) 光のスイッチ」

「群像」2017年1月号掲載。 白川静の、折口信夫から受けた影響について。「産」という漢字が額に記した入れ墨という白川の節はおもしろい。生まれた者が額に入れ墨を入れると「彦」(=おとな)になり、その入れ墨を入れた額のことを「顔」という。そして額…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学(87) 近代篇2 カトリックの政治革命/プロテスタントの精神革命」

カント/ヘーゲルのドイツ観念論とフランス革命の関係。うん。 群像 2016年 12 月号 [雑誌] 出版社/メーカー: 講談社 発売日: 2016/11/07 メディア: 雑誌 この商品を含むブログを見る 大澤真幸の作品はこちら。

大澤真幸「〈世界史〉の哲学(87) 近代篇2 カトリックの政治革命/プロテスタントの精神革命」

「群像」2016年12月号掲載。フランス革命はなぜカトリックが主流のフランスで起きたのか。現代で言えばプロテスタントはリベラル、カトリックが保守って感じなのに。……ってところを紐解いていく。鍵となるのは、フランスがイギリスなどのように宗教革命を経…

佐々木敦「新・私小説論(10) 「一人称」の発見まで(承前)」

「群像」2016年12月号掲載。まだ12月号を読み切れてないんだよね。 日本語は主語を省略できるという特性があるが、ゆえに日本文学には「人称」という概念はないのではないか、という仮説のもと、係助詞「は」と格助詞「が」の違いなどを、金谷武洋、三上章と…

今日の事件簿

鼻きれぎれ事件 久々のソーダブレッド事件 俺シャツ買った事件 俺シャツ買った後に妻リュック買った事件 妻リュック買った後にシュトーレン買った事件 シュトーレン買った後に注連飾り買った事件 注連飾り買った後にクッキーもらった事件(ありがとう) クッ…

佐々木敦「新・私小説論」(9)

「群像」2016年11月号掲載。副題は「「一人称」の発見まで」。 近代に到るまで、日本の文学には人称が明確に存在しておらず、この概念が確立したのは言文一致体の二葉亭、美妙の仕事による。そして谷崎の人称に対する意識と理解の高さについて。 日本語は非…

三浦雅士「言語の政治学」(4)

「群像」2016年11月号掲載。折口と大岡信の、まさかの精神的共通点。なるほど、大岡は笑いをうまく取り入れているのに対し、折口は笑いから距離を置き重く湿った方向に向かいがちだけれど、ともに直感的かつ切り込み方の深さは共通していると言われればそん…

座談会「群像70年の短篇名作を読む」

そうか、短編小説で恋愛というのは成り立ちにくいのか…。一瞬を切り取るような形で描かれた恋愛よりも、物語としての恋愛のほうが読者は興味を示すだろうし、小説としての完成度も高くなるのかもしれない。 群像 2016年 10月号 [雑誌] 出版社/メーカー…

座談会「群像70年の短篇名作を読む」

「群像」2016年10月号掲載。創刊70周年記念の短篇名作選の記念座談会。辻原登、三浦雅士、川村湊、中条省平、堀江敏幸。この五名の意見を聞きながら、編集部が54作品を選んだらしい。 作家も評論家も入り交じっての座談会。ひとまず前半を読んだが、ちょっと…

筒井康隆+佐々木敦「なぜ「最後の長篇」なのか?」

「新潮」2016年9月号掲載。「新潮」の創刊120周年記念イベント?で、この二人の対談が行われた模様。そのときの文字起こし原稿。筒井の最高傑作という声もちらほら、の『モナドの領域』の創作秘話、みたいな話。 GODのモデルがグラウチョ=マルクスというの…

熊野純彦「美と倫理のはざまで カントの世界像をめぐって」(11)

「群像」2016年9月号掲載。副題は「「究極的目的」と倫理的世界像 --世界はなぜこのように存在するのか--」。 人間という理性的存在によって自然界は目的の連鎖を形成する。うん。 群像 2016年 09 月号 [雑誌] 出版社/メーカー: 講談社 発売日: 2016/08/06 …

大澤真幸「〈世界史〉の哲学 近世篇31 ダミヤンの死/マラーの死」

「群像」2016年9月号掲載。ああ、腰を据えて読む時間がもっと増えますように。 18世紀ごろまでつづいた、王制を汚す犯罪者や反逆者に対して行われた超残酷な公開処刑は王の政治的身体の延長(その絶対性の提示)であり一種の祝祭として行われたという考察は…

佐々木敦「新・私小説論」(8)

「群像」2016年9月号掲載。 私小説におけるナラティブ(語り)の問題。堀江敏幸の評論(のような小説?)、そして名作『雪沼とその周辺』の考察。『雪沼』を、私小説の本質(であり人間の本質であるとも言える)「私という他者」を逆転させて「他者という私…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学」

群像2016年7月号掲載「近世篇29 狂気の理性」、同8月号掲載「近世篇30 万有引力と最後の魔術師」。一気に読んでみた。 中世までは狂人たちと健常者が共存する社会が成立していたが、近世になると狂人は特別視される。そこには排除と神聖化が共存している、と…

佐々木敦「新・私小説論(7) 反(半?)・私小説作家たち(承前)」

「群像」2016年7月号掲載。もう、ただひたすらに小島信夫の私小説論。晩年の、地の文なんだかセリフなんだかわからず、シーンも考えも渾然一体となったよくわからん作品『残光』の解説もちろっと。そして、保坂和志、堀江敏幸。それから後藤明生。 小島信夫…

佐々木敦「新・私小説論」第五回 反(半?)・私小説作家たち

「群像」2016年4月号掲載。 大江健三郎が若い頃に書いた「私小説ABC」を起点に、私小説に対する痛烈な批判が展開される。戦後の私小説の定形は志賀直哉によって確立されたとされるが、大江だけでなく、大岡昇平もが、私的なことを書くことの浅さ、「私」にこ…

熊野純彦「美と倫理のはざまで カントの世界像をめぐって」(3)

「群像」1月号掲載。哲学の領域とその区分について。純粋理性の哲学=予備学+哲学的認識の全体。 批判とは否定ではなく、認識の可能性と不可能性のあいだで限界線を引き、境界を設定する作業のこと。 形而上学とは、実質的な哲学認識のこと。形而上学=自然…

熊野純彦「美と倫理のはざまで カントの世界像をめぐって」(2)

「群像」2015年12月号掲載。 自然美と芸術美の本質的な違いについて。前者は自然発生的で偶発的で普遍的(主観的普遍性)な美でその価値を誰もが暗黙のうちに共有でき、それゆえにストレートに「善きもの」と受け取りやすいという性質があるが、後者は作意と…

熊野純彦「美と倫理とのはざまで カントの世界像をめぐって」(1)

「群像」2015年11月号掲載。カントの『判断力批判』をつうじて「美」の本質を解き明かす試み、って言っていいのかな。「美は目的の表象を欠いた合目的性である」という主張。美を感じる主体にとって美しいと思う対象は当然ながら客体なわけだけれど、その客…

熊野純彦「美と倫理とのはざまで カントの世界像をめぐって」

「群像」2015年11月号から始まった熊野純彦の新連載の第一回目。まだちょっとしか読めてないからよくわかんないや。カントの三大批判のラストを飾った『判断力批判』の考察がメインになるみたい。大学生の時に『純粋理性批判』と『実践理性批判』は読んだけ…

佐々木敦「新・私小説論 第一回 「わたしの小説」と「一人称の小説」」

「群像」2015年10月号掲載。以前不定期連載していた評論「新しい小説のために」の最終章のタイトルが変更になってしまった。それくらい「私小説」は現代の日本の文学において重たくてわけのわからないテーマということになるのだろうけれど、正直、私小説ら…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学 近世篇22 遠い祖国と短い時間」

「群像」2015年10月号掲載。西洋における「王の二つの身体」に至るプロセスの一部として、著者は「祖国patria」という概念を引っ張り出す。ぼくらの感覚では、祖国とは自分の生まれ育ったこの国のことを指すわけだが、キリスト教文化においては、祖国とは神…

後藤明生「イエス=ジャーナリスト論、その他」

最後の未完長編『この人を見よ』の巻末に収録された文学論。おそらく何かの講演、あるいはインタビューが元ネタ。1999年初出らしい。 大半が芥川論。表題にあるイエス=ジャーナリスト論も芥川が言っていたことらしい。後藤明生は太宰より芥川の小説手法が好…

戸田山和久『哲学入門』

ひとまず前書きみたいな序章みたいなところしか読んでないんだけどね。 こういう本は三木清とかヤスパースとか木田元とかの大御所哲学者が書く物なのだろうけれど(木田元が書いたのは『反哲学入門』だけどね)、実際にはそうでもないようで(ぼくは尊敬して…

鷲田清一『〈ひと〉の現象学』読了

(ぼくの敬愛する)ヨウジヤマモトをはじめとするファッション/モードの哲学論考、そして「臨床哲学」の実践者でもある著者の、2013年の作品。「ひと」とは何なのかを、「何のために生きるのか」「なぜ生きるのか」といった青臭くてステレオタイプ的な切り…

吉増剛造/長野まゆみ「奇跡的な言葉のしぐさ----『冥途あり』をめぐって」

「群像」2015年8月号掲載。長野まゆみの新作『冥途あり』の発売記念対談。長野まゆみの言語感覚は特殊なものがあって、初期はちょっとしたあざとさすら感じられたのだが、『冥途あり』はその特殊な言語感覚がいい感じに和らぎ、小説として地に脚がついた感じ…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学 近世篇(19) 王は二つの身体を持つ」

「群像」2015年7月号掲載。ディエゴ・ベラスケスという画家が描いた、鏡ごし王の肖像を描いた「ラス・メニーナス」という作品を出発点に、西洋の王制に固有な、国王の身体の二重性(国王二体論)という特性について考察している。私的な人間としての国王=自…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学 近世篇18 知性の不安」

「群像」2015年6月号掲載。近代科学とは「経験」に対する不信から「実験」という手法を確立することによって生まれたが、これは知性の絶対性を確立したというわけではなく、逆に知性に対するより深い不信を生み出してしまっている、と著者は説く。知性はいく…

蓮實重彦「「曖昧さ」について----『「ボヴァリー夫人」論』を例として」

なんだか鍵括弧だらけになってしまったが…。「群像」2015年7月号掲載。蓮實さんのライフワークとも言えるフローベールの代表作に関する評論(最近出したんだよねいつだったっけ?)にからめた、東京大学図書館での講演。タイトルにある「曖昧さ」は、バフチ…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学 近世篇(18) 知性の不安」

「群像」6月号掲載。まだ半分しか読めてないんだけどさ。 前回は、中世までは分離していた知性の主体と経験が近世においては同一の主体に統一され、それが近代科学の成立や大航海時代のの冒険(探検)につながっていく、という話だったのだが、今回はこの過…

大澤真幸×酒井啓子「イスラームの不思議」

「群像」六月号掲載。『〈世界史〉の哲学 イスラーム篇』出版記念対談。ひとまず前半だけ読んだ。要するにこの作品の総集編的内容なのだが、酒井啓子というアラブ政治学者(でいいのかな)が対談相手になることで、ともすると仮説のオンパレードになってしま…

鷲田清一『〈ひと〉の現象学』

第四章「恋 「この人」、あるいは情調の曲折」。恋という感情の、人の内部、そして外部や対象との関連性、構造についての考察。キーワードは「襞」。恋とは対象者の肉体も精神も手に入れたいという所有欲のことであるが、それは自分自身と対象者との相似性と…

鷲田清一『〈ひと〉の現象学』

第三章「親しみ 家族という磁場」。核家族化=最小単位化により社会からの影響=浸蝕をこれまで以上に受けやすくなってしまった「家族」、そして家族に負担がかかりやすいシステムとして完成されつつある社会。家族が社会を補完する、という奇妙な社会構造。…

鷲田清一『〈ひと〉の現象学』

〈ひと〉とは何なのか、どんな存在なのか、という命題に関する考察。と書いてしまうと身も蓋もないが…前書きで著者は、こう述べている。 〈顔〉という他社との遭遇の最初の場面から、名前をもった「この人」、愛憎という他者との確執、家族という場を経て。…

鷲田清一「ひとを「選ぶ」?」

「群像」2015年2月号掲載のエッセイ。年末の衆議院選挙に対する痛烈な批判、かと思いきや、実は内容はもっと深く、選挙の本質である「(自分の代わりとして)他人を選ぶ」ということの重さについて語っている。人を選ぶということは、条件に合致するといった…

平野啓一郎×大澤真幸「予測不可能な未来を生きる」

「群像」2014年12月号掲載。 気鋭の小説家と思想家の対談。平野啓一郎の新刊『「生命力」の行方』の発行記念対談というところだろうか。平野が唱える「分人主義」の思想を起点に、ポストモダンと分人との関連性、資本主義の起源とシステム、そして今後の問題…

三浦雅士『身体の零度 何が近代を成立させたか』読了

「近代化とは、人間の身体機能や身体特徴の、あるいは身体に込めた意味の、均質化や白紙化(=身体の零度)とともにある」という三浦さんの考察が最後に行き着くのは、現代(本作が書かれた'94年現代)における最高芸術としての「舞踊」だ。現代において舞踊…

三浦雅士『身体の零度 何が近代を成立させたか』

民俗的・土着的な舞踊から、社会・経済・国家を起動させる近代化のエンジンとしての体育・体操への移行を説明した「体育」の章の次が最終章になるのだが、タイトルはなんと、「舞踊」。体育からの後退ではないか、と一瞬思ったが、民俗的で拡大・進化する可…

【気になる】増川宏一『日本遊戯思想史』

産経新聞10/26朝刊のブックレビューより。「遊びに対する考えの変遷」が書かれているらしい。書評を読んで知ったけど、「人はなぜ遊ぶのか」というテーマの学術研究って、やっぱりホイジンガからはじまってるのか。ふーん。 日本遊戯思想史 作者: 増川宏一 …