わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・哲学・思想の読書日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

評論

歪みとすき間と

五時四十五分起床。平成の終わりと令和の始めの長い休みがようやく終わり、ニュースではその長さゆえに生じたさまざまな歪みやらすき間やらをしきりに報じている。社会や市場の構造、機能といった面だけでなく、個人の心にも歪みやすき間は生まれたようで、…

桜餅とジャスミン

五時四十五分起床。晴れ。風はさほど吹かず、花も咲き、肌も目も心地よい。昨日で連休中に片付けるべき仕事はすべて終わらせたので、今日は完全オフに、と思っていたものの、午前中は掃除、午後はアイロン、買い出し、そして夕食づくり、と、家事に終始して…

カイゲン、ヅケ、フカン

六時起床。 平成最後の日曜日。この「平成最後の」というカンムリ言葉にもいい加減飽きはじめているが、改元し数カ月もすれば肯定的に、そしてある種のノスタルジックな感情をもって振り返るようになるのか、それとも冷静になり、翻って、というつなぎ方が正…

天然知能

五時三十分起床。妻は仙台のショップでイベントがあるため、早朝から外出。三日間の出張となる。 連休初日。掃除やらなんやらを済ませてからは、のんびり過ごした。 夕食は豚汁をつくって食べた。大量につくったので、しばらくこれでしのぐ。 夜はランニング…

桜ちらほら

六時二十分起床。晴れ。朝日が東側の部屋をいつもより明るく照らしている。この季節の晴れた空はイコール花粉がいっぱい飛んでいることになる、と刷り込まれているから、花粉症の症状はほとんどないというのに、陽の光の心地よさよりも怖れのほうにばかり気…

近視の桜

六時起床。曇天。今年最後の寒の戻りらしい。天気予報の厳しい表現に怯えるようにしまいかけていたヒートテックを出してきてみたものの、やはり二月までの寒さと三月のそれとは根本的に何かが違うようで、いや、カラダが変わりつつあるからなのかもしれない…

安堵と花と猫のカカカッ

五時四十五分起床。目覚めた瞬間から鼻水が蛇口をひねった水道のごとく流れつづけたが、五分で止まった。アレルギーではあるのだろうが、何が引き金になったのかはよくわからない。ハウスダストだろうか。今年の花粉は量が多くてみな苦労しているとも聞く。 …

マグを買う

うりゃうりゃの命日。1人暮らしの頃に飼いはじめたセキセイインコで、妻と結婚したときに妻の連れ子セキセイのハチといっしょに暮らすことになった子だ。最後は痛風で大変そうだった。今とおなじくらい鳥の健康管理に関する知識があれば(当時はきちんとした…

佐々木敦「全体論と有限 —ひとつの「小説」論—」

「群像」2018年11月号掲載。 違和感について。林芙美子賞を受賞している高山羽根子という作家の「太陽の側の島」という作品について触れているのだが、この作品と、この作品より前に引用されていた「オブジェクタム」という作品、とても読みたくなってきた。…

佐々木敦「全体論と有限 —ひとつの「小説」論—」

「群像」2018年11月号掲載の新連載評論。読み残してた…。 今回の章タイトルは「第一章 方法序説」。まだ数ページしか読んでいないが、今のところ、スペースノットブランクという演劇ユニットの『舞台らしき舞台されど舞台』の、およそ演劇らしくない実験的な…

敬老と震災

五時四十五分起床。曇天。時折射しこむ朝日も雲のフィルターを通しているようで、夏の鋭さは感じられない。だが気温は微かに残暑を思わせる。 敬老の日だが、仕事。某クライアントのパンフレットを進める。父は幼くして両親を亡くし、母も若い頃に父を亡くし…

『孤独の発明』と『今夜はひとりぼっちかい?』

五時四十五分起床。台風は過ぎたようだ。直撃の怖れあり、上陸の怖れあり、と報じていたが、どうやら直撃も上陸もせず、千葉から茨城の海を抜けて東北に向かっているらしい。どういうわけか、安堵した、とは言えないし、言いたくもない。 妻は相模大野の犬猫…

引きずらない

五時四十五分起床。晴れ。夏日になるというが、朝の日差しはこの季節相応の心地よさ。 午前中は事務処理など。 午後は後楽園で打ち合わせ三発。上着を着たままでは暑いが、夏の暑さとは明らかに違う。湿度だろうか。風は強い。 大量の資料を整理していたら、…

鷲田清一『素手のふるまい』

「4 アートレス? 川俣正の仕事を参照軸に」。川俣正の公共事業のような地域全体を巻き込んだ巨大アート作品から、アートと社会性の問題について考察している。個人的な関心や想い、そして作為が、個人の創作行為として成立する過程において、社会が深く関わ…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学」近代篇14 銀行というなぞ

「群像」2018年1月号掲載。今月から表紙のデザインテイストが変わった。抽象的な写真作品。去年の2Dのフラットデザイン的グラフィックもよかったが、こちらはもっと好きだ。 まだ半分も読めていないのだが…資本主義にとって不可欠な制度である「銀行」の存在…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学 近代篇12 予定説がとり残したもの」

「群像」2017年11月号掲載。 キリスト教の「最後の審判」と資本主義における資本の再投下の共通性。最後の審判の無限ループ化がよく理解できず、思考停止状態…。著者がいっていることを別の言い方にすると、終わりと始まりの共存、否定と肯定の共存というこ…

三浦佑之「出雲神話論」(1)

「群像」2017年10月号掲載。連載第一回なので膨大な量が掲載されている。古事記と日本書紀を比べると日本書紀には大国主命に関する神話がほとんど掲載されていない点に着目し、日本書紀に掲載されていないのはなんらかの政治的(と言っていいのかよくわから…

平穏な一方で

六時十五分起床。少し肌寒い。 午前中は掃除。午後はアイロンがけ。夕方は酢豚をつくった。 平穏な一日。ありがたいことだ。だが友人のところでは飼っている猫の体調が悪くなったり、別の猫が行方不明になったりと(見つかったのだが)、大変そうだった。 読…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学」近代篇9 召命と階級」

「群像」2017年8月号掲載。ルター訳新約聖書で「召された」という表現がドイツ語ではBerufにあてられていることにヴェーバーが着目している点を出発点に、資本主義の根本である「階級」の概念の本質に迫っている。ヨーロッパの歴史のなかで一度は廃止された…

三浦雅士「言語の政治学」(最終回)

「群像」2017年8月号掲載。バレエと言語の関係。というより、自己認識の関係と言ったほうがいいのかも。言語と視点が自己認識の基本となるからね。バレエは全然詳しくないけれどモダンバレエには興味があって(ピナ・バウシュくらいしか知らないけど)、ピナ…

三浦雅士「言語の政治学」(最終回)

「群像」2017年8月号掲載。最終回はいつもより長いのか、それともぼくがダラダラ読んでいるからなのか、なかなか読み終わらない。バレエ(肉体)、映画(視覚・聴覚)と、さまざまな切り口から言語の政治性と孤独さを掘り下げているのだが、最後に無理やり詰…

三浦雅士「言語の政治学」(最終回)

「群像」2017年8月号掲載の最終回。まだ最初の数ページしか読んでいないのだが、最後の最後で、視覚的であり図形的であるという点で言語表現と相似するバレエによる身体表現について論考している。ちなみに著者は、バレエ専門誌の編集者をしていた経歴を持つ…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学」近代篇8 商品の救済/人間の救済

「群像」2017年7月号掲載。 商品が交換によって貨幣となり、貨幣が交換によって別の商品となる、という資本主義の基本的な価値交換のシステムと、宗教との関連性。 無限の富の追求が根底にある資本主義がキリスト教のような一神教のもとで発達したことの複雑…

三浦雅士「言語の政治学」(12)

「群像」2017年7月号掲載。 人間だけが対面で性行為ができること、対面で子どもに乳を与えることができること、といった「対面」が、自分ではなく相手の視点を脳内に図式化して構築できる(イメージできる)能力を生み出し、これが視覚としての言語の発達・…

佐々木敦「新・私小説論」(最終回)

「群像」2017年7 月号掲載。思った通り、最終回で取り上げられたのは保坂和志。『未明の闘争』の文法的に破綻した書き出し、そして名作『カンバセイション・ピース』の哲学的・認識論的・主体論的論考。『カンバセイション・ピース』は読み返そうかな。 群像…

三浦雅士「言語の政治学(11) 詐欺と宗教と貨幣」

「群像」2017年6月号掲載。5月7日が発売日なのだが、GWなので2日に届いてしまった。というわけで、ちょいちょい読み進めている。 司馬遼太郎の、興味は高く造詣も深いが決してそこにおぼれず一定の距離を保ち俯瞰して見つづけるという独自の宗教観のエピソー…

鷲田清一『素手のふるまい アートが探る〈未知の社会性〉』

「2 巻き込み 小森はるか/瀬尾夏美の模索」。 芸術家を名乗り切れず、美術マーケットで販売できる作品をつくらない「(自称)アーティスト」について言及している。著者は、これを出来事の作品化と理解し、さらにこのコト的・体験的作品の「液状化」を指摘…

大澤真幸「〈世界史〉の哲学 近代篇7 〈金貨/紙幣〉としての貨幣」

「群像」2017年5月号掲載。 貨幣の発生と流通の過程を考えることは、この世界を形づくる、あるいは動かしている価値や基本原理を考えることにつながる。お金にならない価値がある、みたいな話も当然あるわけだが、その価値の伝播・拡散や自分自身が得る満足…

三浦雅士「言語の政治学」(10)死の視線

「群像」2017年5月号掲載。半分くらい読んで、忙しくなったのでしばらく放置しちゃったんだよね。 司馬の「街道をゆく」に収録されている「そば」というエッセイと、小林秀雄の「無常といふ事」の共通点と差異を見出した著者は、「俯瞰する」という視点の有…

三浦雅士「言語の政治学」(10)死の視線

「群像」2017年5月号掲載。司馬遼太郎「街道をゆく」に見受けられる「俯瞰」の視点と止観との関連性、そして吉田健一や小林秀雄との共通性。小説と評論の混在したような独特の世界観。シバリョウのカメラの焦点を自在に変えるような文体とユーモア感覚につい…