わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

億劫

 三時三十分。熱帯夜なのだろうか、鈍く湯だった重たい体を引きずるように起き上がり、いつものように騒ぐ花子にゴハンをあげた。もう一度床に入る。ところが目を閉じても寝返りをしても布団のかかり具合を直しても眠れない。暑いというだけではない。仕事が少々立て込みはじめたせいか、それとも寝入りばなに読んだ武田泰淳の『司馬遷--史記の世界』に感銘したか、はたまた暑い夜に嫌気がさし、それが怒りに結びついたか。何らかの理由で興奮していたのは確かだ。目を閉じても何かがふわりと目玉と閉じたまぶたの間に浮かび上がる。いや、脳味噌の中に生まれたものが、そのわずかな空間に曖昧ながら像を結んでいるのかもしれない。それは今手掛けている仕事の商品だったり、愛用するPDAだったり、キーボードだったり、サラリーマン時代の先輩の顔だったりと目まぐるしく変わる。それを、眠ろうという意志でもって消そうと試みる。一度は確かに消える。だがたちまち、違うものが現れる。そのうち、消すのが億劫になる。しかしどうやら億劫になれば、すぐに意識は落ちる。
 夕べはまだましなほうだ。ひどいときは、ラジオの局を合わせているときに聞こえる雑音ようなものに脳味噌を占拠されてしまう。ノイズの中に、ときおり人の声が混じる。耳ではなく、頭でそれを聞いている。音を消すにはスイッチを落とせばいいだけの話なのだが、それがまた眠気というやつとどうやら深いところでつながっているらしく、ノイズに大小の差は生じるものの、なかなか消えない。そうなったら、自分の声で、肉声ではなく思念の声でそれを消すしかない。だが、一度は消えてもまた現れる。目玉とまぶたの間の像と同じだ。だからこれもまた、億劫になるまでつづけるしかない。まあ、最近はほとんどこんなことはなかったのだが。
 七時起床。午前中は某通販会社の企画など。十時三十分ごろから立てつづけに電話が鳴り、まったく仕事が進まなくなる。まれにこんなことがある。電話のベルが、。形になりかけていたアイデアを消してしまう。そうなると腹立たしくなる。だが電話をかけた相手にそんなことを訴えたところでお門違いもはなはだしい。消えたアイデアは、しょせん消える運命、その程度のくっだらねえものなのだ。そう割り切らなければ、外部とコミュニケーションなんてできやしない。
 午後より外出。霞ヶ関のJ社で二本打ち合わせの予定だったのだが、先方の上司のスケジュールの都合で二本目がキャンセルになる。おかげでちょっと時間に余裕ができた。秋葉原まで足を伸ばし、PDA専門店の「モバイルプラザ」で液晶保護シートなどを購入してから帰る。駅前でチラシを配るメイドさんを見かけた。