わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・哲学・思想の読書日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

ダリに眠りをさまたげられる

 夜は寝室にもなる書斎に、ダリのポスターが貼ってある。上半分は「記憶の固執の崩壊」という作品。誰もが知っているダラリくにゃりと曲がった時計が描かれた作品だ。下半分は真っ赤な地色に白抜きで「私はダリでしょう?」「ダリ回顧展」と書かれている。そして、左側からヒゲをピピンと天に向かって(シド・ミードのデザインで話題になった「∀ガンダム」みたいに)つっ立て、目玉をぎょろりとむき出した、どこか岡本太郎と通じるエネルギーのある表情をしたダリがぬっと顔をのぞかせている。土曜日、若冲展を観たときにもらってきたものだ。こいつが、何度も眠りをさまたげた。ぬっと顔を出したダリが夢に出てきた、というわけではない。ダリの幽霊が枕元に立ったわけでもない。グースカと眠っていると、ガサリ、と音がする。気づけばダリのポスターが床に落ちている。四隅をセロテープで止めているのだが、紙が厚すぎてるのか、それでは紙の重みにテープが耐えられないらしい。そのままにしておくとホントにダリの幽霊が出そうなので、起き上がって貼り直し、もう一度寝る。だが一時間ほど経つと、またガサリとダリが落ちる。起きる。貼る。寝る。ガサリ。落ちる。貼る。寝る。三回もおなじことを繰り返した。花子もそのたびに起きて、ぼくがダリを貼り直すのを見守ってくれた。迷惑だからちゃんと貼れと抗議したかったのかもしれない。三度目は貼り付ける箇所を四つ角から六ヶ所に増やした。これでダリの落下はおさまった。しかし今になってみると、これはダリが何か言いたかったのではないか、などとつい考えてしまう。ぼくにはダリと接点などなく、過去に彼の作品に入れあげてしまったようなこともない。したがって、ダリからメッセージを受け取るいわれなどない。なのについ、そんな暗示的なことを連想してしまう。こんなことを書いている今も、ダリはドアに貼り付けたポスターから、ぼくのほうをじろりとにらみつづけている。
 七時起床。某IT企業の会社案内に集中する。夕方、小石川のL社で新規案件の打ち合わせ。後楽園の駅へ向かう帰り際、どこかから蝉の鳴き声が聞こえた。擦れるような、かぼそい音。
 夜、すっごい下痢に襲われた。だがそんなにお腹は痛くない。ダリの仕業か。