王子駅、尾久駅周辺での日常と人間模様が、主人公が(おそらくアニキ的な思いがあったんだろうなあ)好意を寄せていた昇り龍を背負う印章彫り職人の正吉さんの不在という空白を埋めるように展開してゆく。それでも埋まらない隙間に、ときおり島村利正やら瀧井孝作やらに対する愛情に満ちた文芸批評や競馬の思い出が紛れ込む。それら、愛すべきものへの思いが、家庭教師をしている教え子、咲ちゃんの200mの試合の様子を描写するラストシーンに、みごとに集約していく。微笑ましい、緩やかな感動。心の闇を追い、苦悩や煩悶を描いたものだけが文学ではない、そう痛感させられる傑作だった。
- 作者: 堀江敏幸
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2006/08/29
- メディア: 文庫
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