とにかく、ひとが多すぎて疲れた。
作品は、初期のものは凡庸。中期から後期にかけてのだまし絵的なものは、技巧的には優れているし発想もユニークでスゲエとは確かに思うのではあるが、これは美術作品というよりも高度なデザインやイラストに近いのではないか。ついつい、そんないじわるな感想を抱いてしまう。観ていて、引き込まれる強さや高揚感を与えられる感覚、共感、反発、そういったものがまるで伝わらない。というよりぼくにはワカラナイのだ。これはぼくの性格が悪いからだろうか。
ニンテンドーDSによる鑑賞ガイドは、百害あって一利なし。みんなDSのギミックにばかり意識が言ってしまって、立ち止まってしまう。展示された作品自体を見ない。DSの画面ばかりを見ている。そんな展覧会、あってたまるか。
一方、タッチセンサー式大型液晶ディスプレイを利用したエッシャーの作品世界のCG化はユニークな試みで評価できると思った。ただし、やりすぎると観る側の想像力を貧弱にしてしまう。こういった発想は、鑑賞者の想像力を信用していないから生まれるのではないか。美術作品を観るという行為は、作品から何かを感じること、その感じたものから何かを考えることである。そこに想像力の存在は必須だ。これを否定するような鑑賞ガイドは、ぼくは不要だと思う。