わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

洗いすぎた短パン/格闘/昇進裏話/すげえなあ。おれ。

 夢が深層心理の鏡なのだとすれば、過去の思い出が妙にネジ曲がった形で夢となって再構築(再現、ではない)されるのはどういうことだろう。近ごろは高校時代の自分の夢をよく観る。陸上部の部長となり、三段跳びで関東大会に出場し、本人の意思とは裏腹に異常なほど周囲から注目されていたた時期で、今思うに、あの頃の自分は陸上部のエースという一般的な評価と、文学や哲学、マニアックな音楽や芸術、サブカルチャー(という言葉は当時はなかったが)を嗜好する実際の自分とのギャップに苦しみつづけていた。肉体を使い限界を「記録」という数値に残すことの快感を感じる一方で、脳みそと感性を使い切って様々な、ときには異常とも思えるような(たとえば澁澤龍彦とか)作品群を通じて、知と感情を吸収することにも喜びを覚えていた。最終的には、大学に進学しドイツ語学科に席をおきつつ小難しいドイツの近代思想のゼミで哲学を体系的に学び論理的な思考法を身につけ、その傍ら当時流行していたラテンアメリカ文学を含む世界中の小説を読みあさり、そこで磨いた言語センスを活かす仕事(100%活かしきっているとはいいがたいが)に就くことになる。ならば、大学時代の学びの思い出こそ夢となって現れるべきなのではないか、と思うのだが、あいにくそうはならず、ぼくは夢の中で、陸上部時代に着古したジャージを着込み、土埃を上げながら走ったり、試合のために遠征したりすることが多い。サラリーマン時代はフルチンで100mに出場しなければならなくなり、ゴールすればパンツを履かせてもらえるというシチュエーションの夢を何度も何度も、本人も夢のなかで、ああまたか、と思ってしまうほど繰り返し観つづけた。なぜなのだろう、と思う。脳みそとキーを打つ指先、そしてMacの画面や原稿用紙に現れる(というよりは、吐き出される)言葉ばかりを見つめ、そのほかの肉体をまるで使っていないことの反動か。それにしては、ジャージだの土埃だのパンツだの、肉体とは反する要素も目だって多い(パンツの夢は、フルチンという肉体的感覚の強い内容ではあるのだが)。昨夜の自分は、洗濯しすぎて哀れになるほど脱色した短パンをはいて三段跳びの試合に臨む夢を見た。自分は、その短パンに異様な愛着を示している。ぼくは部員やマネージャーたちの目の前でその短パンを履き、精神を集中させている。そこで、夢は終わる。枕元でミャーミャーと騒ぎ、ゴハンをねだる花子へとバトンタッチされる。午前三時。
 六時四十分起床。昨日の朝は胃もたれで(と入力したら、芋足れと出た。おもしれえ)苦しんだが、今朝はその苦しみはどこぞ、というほどあっけらかんと快調。おかしな夢を見たせいか、若干眠たいだけである。
 ここ数日、某IT企業の統合型ソリューションのパンフと格闘しつづけている。いくら考えても考えがまとまらず、まさに書くというよりも情報と闘うという感覚。勝者にならなければ、クライアントや、クライアントのクライアントの心を動かせるパンフレットには仕上がらない。
 十一時、近所の並川歯科医院へ。立川流に籍を置く素人落語家・並川抜志こと並川先生と、二つ目昇進が決まった知人・立川キウイの話で盛り上がる。といっても、治療中にぼくから話ができるはずもなく、ぼくはもっぱら並川先生の話す立川流の裏話にうなづくだけだ。案の定、キウイのヤツはいろんなひとから「調子に乗るなよ」とクギを刺されているそうだ。現在、二つ目には立川笑志などがいるが、彼らの二つ目昇進試験はもともと本人たちの実力が高かったためかきちんと行われておらず、それを談志師匠が悔やみつづけているため、昨年は二つ目昇進者がゼロだったらしく(たしか、そんなことを並川先生は言っていた)、おまけに笑志の真打昇進も、談志師匠の悔悛が原因でなかなか実現できない状態とのこと。こうなったら、前座の戦後最長記録を樹立したキウイに、真打昇進の戦後最短記録も達成させ、立川流をもっと景気よくしてみてはと並川先生は進言したそうなのだが、どうなることか。ちなみに、キウイ昇進をいちばん早く漏らしてしまったのは談四楼師匠らしい。談四楼師匠、人柄よさそうだからなあ。うれしかったんだろうなあ。
 午後も某IT企業パンフと格闘。
 十六時、気晴らしに「Rosso」へ。髪を切る。
 二十一時、格闘も勝利のキザシが見えはじめたので夕食にし、日本酒をしこたま飲んでしまったら某印刷会社のプランナーさんから電話。二十分ほど電話で打ち合わせ。酔っぱらっていたが、なんとかこなせた。すげえなあ。おれ。
 夕方から雨。湿度が高い。