わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

テープ起こしとは

 六時四十分起床。薄い雲がのっぺりと広がる空に昇る太陽が放つ鈍い金色を、小さくゆるやかな波紋を浮かべる善福寺川が照らしかえす。
 終日、先日の取材のテープ起こし。ヘッドホンをし、ICレコーダー(テープ起こしとはいえ、テープを使っているわけではない)の再生と一時停止のボタンを幾度となく繰り返し押し、密閉型のヘッドホンをつけたまま、じっと取材先の方々や質問をする自分自身の声に耳を傾け、聞き取ったことをすぐさまテキストに変えてゆく。ヘッドホンで耳が蒸れメガネのツルとヘッドホンがぶつかる場所が痛み、腕の筋がつるような感覚に悩まされる。肩がこる。首が張る。腰が重くなる。2万字を越えると、ワープロソフトの動きも重くなる。試練の連続である。自由にあれこれ考えることができず、身体の負担も大きくなる。加えて、自分の質問の内容の浅さや切り口の甘さなどがやたらと気になり、はてには自分の声そのものが嫌になる。なんとか十九時すぎに終了。ここまで終わっても、まだ誌面が見えてこないときがある。今回も多分に漏れない。
 夜、ドラマ「あしたの、喜多善男」を観る。死ぬとは、ここまでわずらわしいものなのか。喜多善男を取り巻く(さほどフクザツではない)ニンゲン関係の(なぜか)複雑な糸が、死ぬ直前まで絡まりつづける(らしい)。