わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・哲学・思想の読書日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

西洋美術館「ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情」http://www.shizukanaheya.com/

 静寂の画家、ハンマースホイの、おそらく本邦初の個人展。写実的だが極端に生活感や人間の感情、はては人間の存在自体を消した作風は、異世界のような不思議な感覚を観る者に感じさせる。
 ハンマースホイの作品は、ほとんどが静止している。単なる静止ではない。おかしな表現だが、過剰に静止しているのだ。あるのは陰影だけ。色彩はほとんどなく、音もない。それどころか、生命の感覚すらない。その世界は、そこに物が存在していても、客観も主観もないということになり、したがってそこは死の世界と言い換えることができるだろう。
 死とは生に通じる。一般的な画家は死を描くことで生や再生、果ては希望を描こうとするものだ。ところがハンマースホイの作品からは、それが感じられない。静寂の向こうには、たしかに光が見えている。それは希望と呼べるかもしれない。しかし、その希望すら、動かない。つまり、絵を観ているわれわれのほうに、歩み寄ろうとか訴えようとか、そんなふうには考えていないようなのだ。すべては希薄に存在する。あるいは希薄に、消えてゆく。代わりに何かが生まれるのかもしれない。だが、それもまたいずれは消える。ならば、消える消えない、生まれる生まれないなど気にせずに、ただ存在しているという事実だけが感じられる一瞬を、切り取って、そこに同一化したほうが、少なくとも悲しみからは解放される。その代償として、喜びや笑い、憎しみや怒りも、果ては(おそらくは)自分自身も、捨ててしまうわけだが。つまり、ハンマースホイの、全体が薄いエクトプラズムに覆われているような作品を観ていると、この絵の世界は何かと取引をした結果得たものではないか、と思えてくるのだ。何と取引したのかは、おぼろげにしか見えてこない。そして、その取引が正しかったのかどうかも、判断がつかない……。
タルコフスキーの映画を思わせる静寂。