わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

ヴァージニア・ウルフ/鴻巣友季子訳『灯台へ』

 灯台の明かりを観ながらひとり物思いにふけるラムジー夫人が、思考の中でふと感じた幸福感。そしてその幸福そうな姿を見て、ラムジー氏が改めて確認した妻への愛情。普通なら章を変え、視点も変えて展開しそうな内容を、ウルフは大胆に同時進行させてしまう。しかも、美しい描写とともに。ちょっと引用。長いけど。

 (前略)けれど、魅入られてうっとりとそれを見つめているウチに、頭の中の閉ざされた器を光の銀の指で撫でられたような気がし、やがて器の封がはじけ飛んで喚起に満たされながら、自分は幸福を知り得たのだと思う。ごく繊細で、激しいまでの幸福。陽がいよいよ薄れていくなか、光の指は荒波をすこし明るい銀に染め、海から碧の色が消えてゆくと、寄せ来る波はきれいな檸檬色にきらめき、曲線を描いて盛り上がっては浜辺にくだけ、すると夫人の双眸はいきおい恍惚の色にあふれ、混じりけのない喜びの波が打ち寄せてその心の底に広がり、そしてこう感じるのだった。わたしは充たされている! 満ち足りている!
 ラムジーは振り返って、妻の姿を目にした。ああ! なんてきれいなんだ、いつにもましてきれいだ。そう彼は思う。でも、話しかけてはいかん。妻の邪魔をしてはいけない。ジェイムズ(引用者注:幼い息子)がいなくなり、妻がやっと独りきりになったのを見ると、無性に話しかけたくなる。でも、いかん、ここは我慢だ。あいつの邪魔はしないぞ。妻は今、夫から遠く離れて、美しくも、悲しみにひたっていた。なら、ひたらせておいてやろう。ラムジーは、声もかけずに夫人の前を通りすぎようとするが、妻がこんなにもよそよそしい貌をし、自分の手の届かない世界にいて、その彼女に自分は何もしてやれないことを思うと、ひそかに傷ついた。そうして、おそらく声もかけず通りすぎていただろう。もしその瞬間に、夫が自分からは求めないものを、妻が進んで与えなければ。しかし妻は夫に呼びかけ、絵の額縁にかかった緑のショールを取り上げ、夫のもとへ行ったのだった。なぜなら、きっとこの人はわたしを守りたがっている、とわかっていたから。

灯台へ (岩波文庫)

灯台へ (岩波文庫)

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