わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・哲学・思想の読書日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

いらぬ心配

 五時四十五分起床。涼やかな朝。部屋の外には冷たい空気がゆるやかに流れていて、窓を開けると、部屋に籠もっていた熱が少しずつ消え、なくなってゆく。
 午前中は某通販サイト企画。午後より外出。馬喰横山にて打ち合わせ。はじめて建築途中のスカイツリーを肉眼で見た。打ち合わせ場所はスカイツリーに近いわけではないのだが、ちょうど目の前の道路が建築現場に向かってまっすぐ伸びており、その間は当然ながら高い建物がないのでほとんど遮蔽されない。しばらく漠然と眺めた。どっしりと構えつつも、霞みながら上へ上へと伸びてゆく姿は、どうしてもバベルの塔を連想してしまう。自分の想像力、連想の貧困さに呆れた。

 夜、夕食を食べながらくさまぁ〜ずが司会をするダイエット番組を観てしまった。壮絶。肉体的な試練の壮絶さはもとより、精神面での過酷さが番組をより壮絶にしていく。番組で取り上げた人たちはみな、過剰な肥満になった原因が心にあるように思えた。これも精神面の過酷さを高める要因のひとつなのだろう。自分の体重を毎日記録し、折れ線グラフをつけている女性がいたのだが、あれじゃどうしても右肩下がりになっちゃうね、ダイエットが進むにつれて気分が知らぬうちに落ち込んだりモチベーションが下がったり、ということになりそうだな、とぼくが言うと、カミサンは、どんどん下がっていったほうが気持ちいいに決まってる、と言っていた。ぼくはやせ形体形なのでダイエットとはこれまで無縁で生きてきたのだが、だからだろうか、あの下へ下へと下がってゆくグラフを見ていると、体重が減るにつれ、自分の存在意義だの自分らしさだの、と年ごろの女性たちがいかにも気にしそうなものも同時に減っていき、そのうちそれがゼロになって、スッキリやせたころには、太っていた自分が持っていた何かをすっかり失ってしまうのではないか、などと余計な心配をしてしまった。もっとも、太っていたころに持っていた何かが負の要素だったとすれば、それはやはり手放すべきなのだろう。ま、いずれにしても、いらぬ心配だわな。

ココロでできるダイエット―もっとキレイになりたい人へ

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