わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

理屈抜きで納得できることもある

 五時五十五分起床。今日も冷え込みは厳しい。麦次郎は調子がよさそうだが、皮下輸液の際に失禁してしまった。トイレに行きたいのに、捕まえて、押さえこんでしまったからだと思う。
 午前中は書斎で仕事。早めに昼食を摂り、午後イチから恵比寿で打ち合わせ。十五時、帰社/帰宅。
 十六時、リビングで仕事をしていたカミサンが「麦次郎が痙攣してる!」と叫んでいる。あわてて様子を見に行くと、てんかんの発作のような激しい痙攣。舌を噛まないように慌てて口の中に指を入れて保護(実はこれ、呼吸困難の原因になることがあるので本当はやってはいけないことだった。後から知った)。痙攣は1分程度ですぐに治まったが、麦、なにがなんだかわからないようだ。口からヨダレを垂らし、不安そうに鳴きつづけている。ひとまず症状は落ち着いたので、カミサンが動物病院に連れて行く。ぼくも戸締まりなどをして、後から追いかけた。病院までの道を走る。腎不全の急激な悪化が原因なのだろうか。それとも腎不全とは別の病気なのだろうか。セキセイインコのうりゃうりゃが危篤になったときも、寒いなか、家まで走った記憶がよみがえり、どんどん不安になっていった。いけない想像ばかりしてしまう。だが、それが病院手前でピタリと止まった。きっかけは匂いだった。北風に混じって、一瞬、ふわりと花の香りがした。梅だろうか。判別する間もなく消えてしまったのだが、その香りが「麦次郎は大丈夫」と言ってくれているような気がしたのだ。根拠などないのに、なぜだろう、ああ、大丈夫だよな、当たり前だよな、と納得してしまった。
 病院につくと、すでに麦次郎は血液検査を済ませ、キャリーに入ってカミサンが会計するのを待っている状態だった。話を聞く。検査の結果、腎不全の症状はかなり、というか劇的に改善。病院に通いはじめる前くらいまで恢復していた。痙攣の原因は加齢による脳神経のトラブルではないかと。大きな心配はいらないようだ。妙な表現になるが、「花の香りの言うとおりだった」。
 麦、帰宅後はカミサンにベタベタと甘え、花子とやたらと会いたがり(一度大げんかをしたことがあるので家庭内別居させている)、ゴハンをもりもりと食べ、よく遊び、と朝よりも元気になっている。痙攣したことで、逆に悪いモノを吹き飛ばしてしまったのではないか。そう思えた。