わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

雨の種類

 お寺の家の子だった小学校から高校までの友だちが亡くなった、という知らせを聞いた。突然すぎる。どういうことだ。どうすればいい。いや、どうにもできない。通夜は、葬儀は、一体どうなる。慌てふためいているところで目が覚めた。五時四十五分。ここ数年はほとんど思い出すこともなかった古い友の名を、しばらく布団のなかで繰り返し呼びつづけた。
 妙な夢に惑わされ、頭のなかはもちろん足元までもがおぼつかない状態になってしまい、今朝はランニングするつもりだったというのにこれはダメだ、と思いつつ身支度を進めていると、サアア、と何かが早く、そして細かく回転するような音が聞こえ、もしや、と思って外を見ると、雨が降っていた。夢を見なくても、走れなかったか。そう思ったら、不思議と頭やら足元やらが落ち着いてきた。それはおそらく、心も落ち着いたということだろう。人の心をすっとなだめる、そんな降り方の雨もあるのだ。そう思った。
 仕事。今日もアポイントは特になく、切羽詰まった状態ではないので、そして雨の効果もあってか、落ち着いて作業を進めた。午前中、少しだけ銀行へ。
 夕方ごろから少し慌ただしくなりはじめた。雨は上がり、午後から少しずつ気温が上がりはじめているようだ。仕事量と心の落ち着きが反比例する? いや、気温と心のざわつきが比例しているのではないか、今日に限っては。今日のぼくは、無理やり方程式のようなものに人の心を当てはめて考えようとしているようだ。どうも調子が狂う。
 夕食を食べようとしたら、麦次郎にぼくの椅子を占拠されていた。起きているのなら無理やりどかしてしまうが、気持ちよさそうに眠っているから、そのままにしておいた。
 写真は、その後むりと起き、ぼくのマッサージを受けてから、気持ちよくなってお気に入りのおもちゃを抱きかかえてふたたびウトウトしはじめた呑気な麦次郎。