わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

最後の傷

 五時四十分起床。花子に起こされることなく目覚める、初めての朝。ただ、なきがらは枕元に安置しておいたから、一緒に寝たことにはなるのかもしれない。
 午前中は友人Kさん、おなじマンションに住んでいて花子の娘・息子を引き取り、二年前に看取ったIさん、うちの近所にいた瀕死の野良猫を助けて、その後ずっと飼っているNさんが弔問に来てくれた。お花を頂戴する。ありがとうございます。
 午後は西荻窪にあるペット霊園で、カミサン、義父母とともに花子の葬儀。といってもお坊さんに経をあげてもらうのではなく、火葬にしてお骨を拾うだけの簡単なもの。焼いていただく時は、たくさんのお花と、生前大好きだったおもちゃ、ペットフード、そしてなぜかものすごく気に入っていたらしいカミサンが描いた猫曼荼羅のプリントを一緒に入れてあげた。泣くまいと思っていたが、さすがにこの時だけは意地を張りきれなかった。
 ペット用の骨壷にお骨を入れてもらい、十七時前に帰宅。霊園のご担当者、とても丁寧な対応だった。ありがとうございます。
 今日から花子のいない生活が始まる。ここしばらくはずっと花子中心の生活をしていたから、ちょっと拍子抜ける。空虚感。だが、まあ、いつかは必ず慣れる。もう、悲しみの一部はいい思い出に変わりつつあるのが自分でもわかるから。やがて、思い出が空虚感をしっかりすき間なく満たしてくれるはずだ。
 夜、土曜日に花子に強制給餌をしようとして噛まれた指の傷から膿が出てきた。もう治るのだろうか。はやく治さなければと思う反面、完治してしまうことがとてもさみしい。

 

 仕事は、昨日早朝から、花子に逝かれてしまうのを気にしながら、なんとか看取る時間をつくらなくちゃ、と必死になって進めておいたので、今日は最低限で済ませることができた。もちろん、昨日もきちんと花子の最後を看取れた。