わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

鷲田清一『〈ひと〉の現象学』

 第四章「恋 「この人」、あるいは情調の曲折」。恋という感情の、人の内部、そして外部や対象との関連性、構造についての考察。キーワードは「襞」。恋とは対象者の肉体も精神も手に入れたいという所有欲のことであるが、それは自分自身と対象者との相似性とわずかな際が深く関連する。その称呼に、嫉妬という感情はわずかな差異から生まれる。大きな差異のある存在、つまり自分より遠い存在に対しては、人は嫉妬を抱かない。

 さらに著者は、恋を形作るのは二つの要素があるという。一つ目は、他者の所有、攻撃、支配といった暴力的で一方的な感情や欲。そして二つ目は、ぐにゃぐにゃ,ふにゃふにゃ、ねばねばといった、物質としての肉の属性。つまり、恋愛とは肉欲であり、官能なのだ、と考えている。これが恋=他者所有の原動力であるということだが、これを突き詰めた先にあるのは、「自他の流動化」だという。二つの文章を、ちょっと引用。

 ひとはじぶんのものでないものを占有しようとして、逆にそれに占有されてしまう  

 その果てにあるのが、〈自〉と〈他〉の境界、自身の〈内〉と〈外〉の流動化

 その境界こそが、キーワードとして上げた「襞」なのだという。これは、肉体の細部と言い換えてもいいのかもしれない。

 

 身体を軸にとても興味深い論考を展開している。が、それだけじゃないでしょ、と反論したくなる気持ちもふつふつと。ただし、ぼくには反論できるだけの論証がない。ある種の精神至上主義に陥っているのかもしれないな。そのわりには、走ったり筋トレしたりと、身体的なことも大事にする傾向があるんだけどね、ぼくには。もちろんエロも嫌いじゃないし。

 

そうそう。鷲田さん、朝日新聞四月一日から「折々のことば」という連載をはじめた。大岡信の「折々のうた」のような巨大連載になればいいなあ、と思いながら、毎日記事をスクラップしている。二日目に紹介されたのは、偉大なる昭和のコメディアン、たこ八郎の言葉だった。これもついでに引用。

めいわくかけて ありがとう

 

<ひと>の現象学

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