「群像」6月号掲載。まだ半分しか読めてないんだけどさ。
前回は、中世までは分離していた知性の主体と経験が近世においては同一の主体に統一され、それが近代科学の成立や大航海時代のの冒険(探検)につながっていく、という話だったのだが、今回はこの過程における疑問点の一つである「なぜ近代科学は経験に依存しつつも経験に対し強い不信感を内包しているのか」という問題に対し、「神の存在についての『存在論的証明』」をフックに答えを導き出そうとしている。著者は、『存在論的証明』と近代科学の相違点を、完全性⇔不完全性に見出す。近代科学は、知性が捉えている観念・知識が根本的に欠陥を含み、存在の実態から隔たっており、そのことを知性自身が自覚している、と分析しているのだが、ちょっとまだピンと来ていません。