幼い頃の土地や季節の記憶の中に、少しずつ、親戚のお兄ちゃんや母親といった、身近な「人」の記憶が混じりはじめ、次第にそちらに重心が移っていく。感動的な話はない。だが、その記憶の集合体、そのものが、なぜだろう、こころにじわじわと迫ってくる。断片的な共感が、連綿と連なる。
気になったところを引用。そうだ、記憶は生と死で構成されていくのだ。
僕は三年前に父が死んだときだったかもしれないがその頃に急に思った、僕が出会ってきた記憶の中の人たちが生きている人より死んだ人の方が多くなったかもしれない。生きている人ばかり知っていた頃は思いもしなかったことだけれど、僕が知っている死んだ人たちがその人たち自身が生きた時代よりも前の時代をその人たちの記憶とともに僕に運んでくる。
この、アタマがクラクラしてきそうな書き方。トーンも語っている内容も全然違うのだけれど、なぜだろう、武田泰淳の『目まいのする散歩』を思い出した。