六時二十五分起床。曇天。朝からの青空を期待していたのだが、ちょっと残念。天気が今一つなせいか、ぷちぷちはさほどテンションが上がっていない。麦次郎もなんとなくぼんやりしている。曇り空は眠気を誘い、雨空は実際に眠る必要性を感じさせる。野生ってのはそういうもんだよなあ。そしてぼくら人間にも、野生はある。今朝は眠い。
仕事。某案件の企画書。企業のPR用情報誌の提案なのだが、マーケティング節全開って感じだなあ。
実家からなぜか米が届く。ウチの両親、家庭菜園はやっているが農家ではない。東京で売っている米や野菜はマズイとでも思っているのか、それともついつい買いすぎるのか、単純に地元のものを食わせたいのか、折りにふれて地元で買った野菜を送ってきてくれる。ありがたいのだが、今一つ意味がわからない。
豚汁と米でささっと昼食。カミサンは日曜ではあるが午後から出版社の方と打ち合わせのため外出。その後は新宿伊勢丹のワイズへ、先日購入したパンツを引き上げに行くのだそうだ。ぼくはお留守番。ドウブツたちの様子をちょいちょい確認しつつ、午前中から取り組んでいる案件に集中。なんとか先が見えてきたので十六時三十分、一旦手を止める。TBSでやっていた「コウノドリ」第一回の再放送を五分だけ観た。これ、おもしろそうだなあ。観ようかなあ。原作全部読んでるけどね。
十七時、カミサン帰宅。おもしろい仕事とお気に入りのパンツ、そして伊勢丹で買った美味しそうな中華弁当で、明らかにいつもよりテンションがあがっていておもしろい。一緒にコーヒーブレイク。
十七時三十分、ランニングへ。南西の空に浮かぶ上弦の月が美しい。月には崇高で孤独な美しさがある。地球の外周を回り太陽の光を照らし返しているのだから決して孤独ではないはずなのだが、憂いや哀しみがひっそりとつきまとう。誰かに何かされて、だの、何かを失って、といった哀しさではない。おそらくは本能的な、宇宙が本質的にほんのすこしだけ抱え込んでいるような、そんな哀しみ。その哀しみに触発されて、なぜかテンションが上がる。そうだ、カッチョよく言えばランナーは孤独なのだ。ふふふ。「孤独な影」だな。Gentlemen take Polaroidsだな。ふふふふふ。上井草から善福寺川に入り、善福寺池をぐるりと回って10km、というコースの予定だったが、あの美しい月を青梅街道のけやき並木越しに観たいとふと思い、急遽予定を変更。池を半周したところでコースを外れ、青梅街道へ。夜なのでケヤキの状態は落葉が多いことだけはわかるものの葉色までは見えなかったが、ケヤキ越しの月はやはり美しかった。写真に撮ればよかったかな。スーパームーンの日にこのコースを走ったらおもしろかっただろうなあ。途中で、保坂和志『猫に時間の流れる』に登場しそうな感じのむっちりしたふてぶてしい雄猫を見かけた。
夕食は中華弁当。シュウマイも肉まんもやたらとうまい。
↓月じゃなくて雷雨だけどw
↓月の音楽といえばルナシー、ではなくこの人たちを思い出してしまうぼくはやっぱり80年代の人だ。
↓この作品に出てくるクロシロに似た感じの子だった。そうだ、外で生きる猫もみんな孤独だ。