わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・哲学・思想の読書日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

身を削る/正月くらいは/それは反知性主義ではない

 あけましておめでとうございます。

 

 六時三十分起床。麦次郎、見た目では血尿はとまったようだ。薬が効いたのか、そもそも一時的な症状だったのかはわからない。が、ひとまず安心。しかし油断はできないので、二日の帰省はキャンセルのまま。今日も歩いて二十分程度の場所にある妻の実家には二時間くらいは顔を出す予定だが、それ以外はなるべく在宅、初詣も二日にすることにした。

 正月の青空に朝日。外に出せとウルサイ麦次郎を抱えて、もう家々の屋根の上あたりまでが昇ってしまった陽の光を、軽く目を細めつつ眺めた。あちこちでじいさんが犬の散歩をしているのが見えた。

 正月一日ではあるが、日常のルーティーンが大きく変わるということはない。神棚や花子ぷちぷちの写真の前に置いた水は取り替えるし、麦次郎のトイレの始末はするし、トイレ掃除も洗い物も掃除機かけもする。朝食は正月気分を出すために餅を食べたものの、いつも通り豆乳をかけたフルグラとヨーグルトも食べた。

 新聞チェック。元日号はおもしろい広告が多い。スクラップにいつも以上の時間がかかる。終了後は仕事に取り掛かる。といっても軽い感じだが。ずっと取り掛かっている黒澤監督関連の資料を読む。芸術家としての作品づくりへのこだわり、というか執着。ここまで来ると業みたいなものだ。作りこむという行為から逃れられない。行き過ぎたこだわりは自傷に通じる。わかりやすく言い換えれば、身を削るということだ。文字通り、黒澤は健康を犠牲にすることを当たり前のようにして、映画づくりに取り組んでいたようだ。しかしそこからの回復は確実の自信や実力の向上につながるのだろう。それを知ってしまったら、もう止まらない。死ぬまで追いつづけることになる。それがたのしくてたまらない。そういうことなんだよなあ。敬愛する作家である武田泰淳も、そんなようにしながら大作『富士』を書いた。黒澤と交流のあったタルコフスキーもおなじようにして映画をつくっていたんだろうなあ。

 雑煮で昼食。アルコールが喘息発作を誘発するのでもう十年くらい断酒(今風に言えば卒酒?)しているのだが、元旦くらいは縁起物だし、ということで、小さな盃に一杯だけ、出羽桜の特別純米酒をいただいた。これで酔ってしまったのか、その後二時間ほど昼寝してしまう。うーん、仕事しようと思ってたんだけどなあ。

 夕方、妻の実家へ。新年のご挨拶。おせちとお寿司をご馳走になる。義弟夫婦も来ていた。一年生になった子どもがマンガ家志望なのだという。ふーむ。

 十八時三十分、帰宅。午前中に読んでいた黒澤の本を読みすすめる。

 二十一時過ぎから筋トレ。そしてエアロバイク。ちょっと食べすぎているなあ、と感じていたが、案の定体重が2kg近く増えていた。でも体脂肪は減っている。食べた分動いてもいるので、筋肉になってしまっているということか。わからん。

 夜はテレビを観ていたら遅くなってしまった。お笑い系ばっかし。反知性主義? いや、こういうのは反知性主義とは言わないな。笑い偏重の快楽主義だ。正月はそれでいいのだろう。

 

黒澤明 全作品と全生涯

黒澤明 全作品と全生涯

 

 

富士 (中公文庫)

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