わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

ドウブツを飼うことの意味

 仕事の古いデータを整理してたら、こんな文章が出てきた。十五年以上前に書いたものだと思う。セキセイインコのハチが亡くなったときに、自分の中のモヤモヤを吐き出すために書いたような。その後、Webサイトにアップしようと思っていたのか、本当にアップしたけれどそのサイトを閉鎖したか……。そのあたりは、さっぱり思い出せない。

 

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 「あなたはなぜドウブツを飼うのか?」眉間にしわを寄せながら気難しそうな表情でこんな質問をされて、即座に応えられる人。さあ、手を挙げてください。

 難しげに尋ねられて、「好きだから」とか「かわいいから」なんて答えを口にすることをはばかっちゃうような雰囲気の中でこの問いに答えようとしたら、意外に多くの方がまごついてしまうのでは? もちろんこの質問を実際にアンケート調査をしたわけでもないのだから、正確なところはわからない。皆さんは興味ありませんか?

 こんなことをいきなり書き始めた僕自身はすぐに答えられるのか? と言われると——やはり、まごついてしまいそうで自信がない。でも、僕が飼っているドウブツたちとの生活は、いったいどんなふうなのか——。そんなことを通じてなら、何かを語ることができるような気がする。

 小学生の頃、セキセイインコ(♂)を飼っていたことがある。名前は「ピー」。バカな子供だったものだから、ユニークな名前を思いつかなかった結果の平凡なネーミングだ。当時の同級生と放課後に迷い鳥を見つけて保護し、そのまま飼い続けた。こんな話はよくあるんじゃないかな?  このインコは8年ほどで天寿をまっとうし、この世を去った。その頃、我が家にはやかましいマルチーズの「イングリ」(♂)がいたのだが、僕はイングリには嫌われているらしく、そして鳥が好きだったこともあってか、ピーが死んだことが忘れられないでいた。

 やがてバカな子供だった僕も大人になり、東京に出てきて一人暮らしを始めた。僕は一人の女性と知り合い、彼女と交際を始めるようになった。

 彼女は無類のドウブツ好きだ。実家には十八歳になるオスのシャム猫を、そして彼女のアパートにはハルクイン種のセキセイインコ(♀)を一羽飼っていた。

 このインコも、ピー同様に迷い鳥だったそうだ。笑い話のようだけれど、焼鳥屋の前で道路に張り付いて動けなくなっているところを彼女が保護したらしい。ピーと同じだな、と思われる方もいるかもしれないが、事態はピーの時よりもはるかに深刻だった。

 このインコを保護したとき、彼女はインコの足が八の字に開いてしまっているに気づいた。きっと、道路に落ちてしまったときにアスファルトに足が引っ掛かって関節がどうにかなったのだろうと思いながら動物病院に連れていったところ、そのインコは関節が外れているのではなくて、生まれ付いての奇形、あるいは栄養失調による脚部の骨格異常と診察された。治る見込みはないらしい。

 インコはハチと命名され(ちょっとひどいネーミングかもしれないが、彼女も僕もこの名前がとても気に入っていた)、彼女のアパートで飼われることになった。

 足が八の字に開いてしまっているのだから、カゴの中でもちゃんと立てない。ホフク前進か嘴を使って壁伝いにしか移動できない。また、移動中にどこかにぶつけてしまったのか左目に傷が付き、見えなくなってしまっていたようだ。さらに、足が悪いと地面を蹴ることもできないので、空を飛ぶのもダメ。翼は何となく他のインコよりも小さめになってしまった。医者の診察によると、生殖能力もないのだそうだ。

 しかし、ハチ自身はそんなハンディキャップを全く気にしていないようだった。育てるうちにきちんと手乗りになったし(手のひらの上にボトッと乗せられて、文字通りの「手乗り」状態。普通のインコとかの場合、あれは正確には「指乗り」ですな)、何よりも愛らしいしぐさと鳴き声で僕たちを和ませてくれたのがうれしかった。

 小学生の頃を思い出してインコが懐かしくなった僕は、ハチと同じハルクイン種のセキセイインコを一羽飼い始めた。命名「うりゃうりゃ」。元気に育って欲しいと思って付けた名前だ。——変だけど。性別はオス。

 僕らは結婚することになった。必然的にインコたちも結婚ということになった。式の二ヶ月くらい前だっただろうか、彼女が結婚式の日までアパートを引き払って実家に住むことになったので、僕はハチを引き取り、うりゃうりゃと一緒のカゴで飼うことにした。最初はとても心配だった。成鳥となったインコ同士を同じカゴに入れて飼う場合、相性が悪いといじめ殺すなどのトラブルが起こる、というような話を物の本で読んでいたからだ。加えてハチには障害があるわけだから、いきなり「このオスと一緒になりなさい」などと言われても、戸惑ってしまうに違いない。しかし、我がセキセイインコ・うりゃうりゃは男として尊敬に値するほどの寛大さをハチに示してくれた。いじめることなどなく、そしてハチの障害など全く気にしないような態度で、楽しそうにハチと暮らしてくれたのだ。ハチの方はうりゃうりゃのことを「なんだかやたらとチョロチョロとして、落ち着かないトリだわ」と思っているようなフシが合ったけれども、二羽はすぐに仲よくなった。無事、結婚成立というわけだ。

 もちろん、結婚以後のハチに問題がなかったわけではない。うりゃうりゃに比べると体が弱い。動物病院のお世話になったことも一度や二度ではなかった。また、市販の鳥カゴではハチは快適に暮らすことができないので、ハムスター用のカゴを改造して2階建てバリアフリー鳥カゴを作り、そこに住んでもらうようにした。苦労は絶えなかったが、それだけ育て甲斐もあった。

 そんなハチにも、やがて運命の時が訪れた。ある冬の朝、気がつくとハチはいつもくつろいでいるときと同じ這いつくばったようなポーズのまま、冷たくなっていたのだ——。僕たちは泣いた。その日は一日中泣き続けた。

 のちにハチの掛り付けだった動物病院の先生に訊いてみたところ、障害のあるインコは普通三年程度で落鳥してしまうそうだ。ところが、ハチは六年も生きてくれた。六年もの長い間、僕たちと生活し続けてくれたのだ。

 ハンディキャップなど気にせずに、はつらつと生きてくれたハチ。ニンゲンじゃなくてトリだったから、障害など気にせずに元気に生きてきたのだ、と言われてしまえばそれまでだけれど、僕はそんなふうには考えたくない。ハチとの生活を、そんなふうには捉えたくないのだ。 「あなたはなぜドウブツを飼うのか?」眉間にしわを寄せながら気難しそうな表情でこんな質問をされたら、僕はこう答えようと思う。

「わからない。——だけど、ドウブツとの生活を通じて、ドウブツたちから大切なことを教えてもらうことはあるよ」