わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

古井由吉「年寄りの行方」

「新潮」2016年4月号掲載。

 師走の慌ただしい時期、身体の衰えを感じながら、そして季節の微妙な変化を感じながら、古井さん自身らしき語り手の小説家は、十数年前、師走の散歩道で偶然再会した同級生のことを思い出す。その男は、若い頃に母と離縁し、以降数度しか会っていない父親の、入院の世話をするために近所の病院に通い、時折ベンチに座ってあたりを眺めているのだという。視線の先には、昼間から持参した寝袋でベンチで寝ている男。小説家と男は幾度か会い言葉を交わすが、御用納めの日に会ったのが最後となってしまった。男がその後どうなったのか、小説家はまったくわからない。

 老いるとは、寂しさを身に潜めたままでいることなのか。不条理さを、孤独とともに受け容れるということなのか。いや、それなら若い者だっておなじではないか。だが、どこかが違う。なんだろう。老いには、諦めの気持ちもしつこくつきまとっているような気がする。だが、これもまた若い者だって…。ひとつ異なるとすれば、それは季節や空の表情を眺め、目に焼き付けることに対する姿勢、だろうか。老いた者の自然を見つめるまなざしは、いや自然を感じる知覚は、ともすると自然と合一化してしまうのではないか、というくらい、受動的だ。その知覚自体が、自然から与えられているような。若い者に、この感覚はおそらくほとんどない。

 

 

新潮 2016年 04 月号 [雑誌]

新潮 2016年 04 月号 [雑誌]

 

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