わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

大澤真幸「〈世界史〉の哲学 近世篇27 「蒐集家の部屋」をつきぬけて」

「群像」2016年4月号掲載。ここ数号分、ずっとテーマとして取り上げられている「王の二つの身体」に関わる重要なエッセンスとして、宗教画の大きな変化が前回から取り上げられている。近世になって現れた「遠近法」という手法による宗教画は、リアルな視点を再現してはいるものの視野は有限で一点からしか世界を見ていない。一方、神の視点は多焦点的(というより全焦点って感じかな)で無限、つまり世界全体を同時に見ることができる。この「神の視点」を再現したのが「蒐集家の部屋」、つまり画廊画という形式。たくさんの絵画作品が集められた部屋全体を描くことで、遠近法による構図を確立しつつ、同時に絵のなかに描かれたさまざまな作品を通じて多焦点的な視点を再現している、という解釈。しかしこの形式は一時の流行で、今はなくなってしまっている。美術に関してはある程度の知識はあるつもりだったけれど、この形式は知らなかったなあ……。こういう作品は何度かみたことがあるような気がするが、印象には残っていないし。

 

群像 2016年 04 月号 [雑誌]

群像 2016年 04 月号 [雑誌]

 

 

 

<世界史>の哲学 古代篇

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<世界史>の哲学 東洋篇

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<世界史>の哲学 イスラーム篇

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<世界史>の哲学 中世篇

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