「2 巻き込み 小森はるか/瀬尾夏美の模索」。
芸術家を名乗り切れず、美術マーケットで販売できる作品をつくらない「(自称)アーティスト」について言及している。著者は、これを出来事の作品化と理解し、さらにこのコト的・体験的作品の「液状化」を指摘する。こうなってくると、「芸術とは何か」がさっぱりわからなくなるのだが、著者はネルソン・グッドマンの『世界制作の方法』という作品を引用しながら、アートの定義づけも肯定も否定もすることなく、ただただ作品(というよりは行為?)の完成めがけて闇雲に突っ走ってしまう「アート未満」の活動について考察をはじめる。
闇雲に突っ走る、というとインプロビゼーションなどの即興芸術を連想してしまいそうになるが、アート未満の活動の場合、コンセプトも着地点も曖昧なまま、という点が大きく異なる。思い描いていた着地点と違うところに行ってしまった、というのは非常にスリリングなのだけれど、曖昧な出発、曖昧な過程、曖昧なフィニッシュ、そのすべてを見せられるとなると、これは鑑賞に堪えない。現代アートは、一部すごく好きな作品もあるのだけれど、一方で敬遠したい領域も確実に存在している。それが何で、なぜなのか、今までじっくり考えることはなかったのだけれど、なんだか答えが見えかけてきた気がする。そして曖昧な出発・過程・フィニッシュをどう受け止めるべきか、ということも、わかるのかもしれない。