「群像」2017年8月号掲載。ルター訳新約聖書で「召された」という表現がドイツ語ではBerufにあてられていることにヴェーバーが着目している点を出発点に、資本主義の根本である「階級」の概念の本質に迫っている。ヨーロッパの歴史のなかで一度は廃止された奴隷制度がなぜ新大陸に進出した際に復活したのかを、「内部と外部」という点から探っている。資本家と労働者という関係と、主人と奴隷の関係の違いは、買い取りかレンタルかの違いに近いという解釈には納得。奴隷という概念の延長にプロレタリアートがあるとすれば、資本主義は滅びる。でもそうならなかったのは、奴隷の延長としての労働者という考え方から人々(主に資本家たち)が脱却できたからなのだろう、なんてことを考えてみたり。