「群像」2017年12月号掲載。小説とは個人の主張によって書くものではなく、小説によって書かされるものであり、作者は小説に仕える立場の者だ、といった趣旨。読解し固定的な読み方を強制する現代の国語教育への警鐘が、実はひな壇芸人の役割分担のような社会のひな壇化といった状況に結びついているという状況理解には共感。そこから大きくはみ出し、固定的な解を分解してしまうこと。分解された解から新たな感情や道筋を見つけ出すこと。あるいは見つけ出せずに、もしくは見つけ出せてもそれを言語化できぬ状態で、迷い、途方にくれ、もがくこと。それが小説を読むという行為であり、裏返せば書くという行為にもつながる。のだろうなあ。