わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

敬老と震災

 五時四十五分起床。曇天。時折射しこむ朝日も雲のフィルターを通しているようで、夏の鋭さは感じられない。だが気温は微かに残暑を思わせる。

 敬老の日だが、仕事。某クライアントのパンフレットを進める。父は幼くして両親を亡くし、母も若い頃に父を亡くしているので、ぼくには祖母しかいなかったのだが、その祖母とも中学に入学した頃からほとんど会う機会がなくなり、祖父母という存在がどんどん希薄になっていった。その祖母は東日本大震災の日の朝に、つまり震災の起きる前に、亡くなっている。この日の日中は、中野の高層ビルで某企業の取材をこなしつつ、祖母の葬儀に関する連絡を母と取りあっていた。打ち合わせの予定をキャンセルして外出先から帰宅する途中、丸ノ内線荻窪駅から下車してすぐに、地震が起きた。祖母の葬儀の予定がなかったら、おそらくぼくは丸ノ内線の車内か、中野のビルの中に、閉じ込められていたはずだ。葬儀当日は、母の誕生日だった。

 夕方はランニング。6.7kmを34分。終了し、帰宅したとたんに夕立。すごいタイミングだ。

 夕食後、少しだけ「大食い女王」を見る。なぜだかよくわからないのだが、面白い。

 

 読書は三浦雅士『孤独の発明 または言語の政治学』の「はしがき --孤独について」だけ読んだ。孤独が言語や政治を生み、それは身体に依拠する。この考え方、本当に面白い。この作品は「群像」の連載「言語の政治学」をまとめたものなのだけれど、2010年から11年にかけて連載していた「孤独の発明」と題した文芸評論は掲載されなかった。幽霊論など、こちらも面白いのだが。はやくまとまった状態で読みたいなあ。

 

孤独の発明 または言語の政治学

孤独の発明 または言語の政治学

 

 

 

考える身体

考える身体

 

 

 

私という現象 (講談社学術文庫)

私という現象 (講談社学術文庫)