わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

奥泉光『雪の階』

 ドイツ人音楽家を日光へアテンドするための打ち合わせにやって来た三人の男たちは、惟佐子、そして継母の瀧子となんやかんやとダンドリを詰めていくのだが、新聞記者の男が不意に、惟佐子に親友・寿子と富士樹海で心中したと世間を賑わしている久慈中尉が、惟佐子の兄・笹宮大尉と面識があるのではないか、と不躾な質問をしてくる。この、緊張感の一気に高まる瞬間の描写に息を呑んでいると、次に瀧子が、とんでもないセリフを発する。あまりにおもしろいので引用。

 

「惟佐子さんには、二人の出会いについて、何か心当たりはありませんか?」

 ないと惟佐子が答える前に(中略)、それより早く瀧子が新聞記者に向かって口を開いた。

「あなたは、あれね」

 云われた男は、瀧子の方に姿勢よく向き直り、なんでしょう? と訊く。

「あなた、のらくろに似ているわね」

 出し抜けの評言に若い新聞記者が頓狂な顔になると、瀧子は冗談を云うふうでもなく、自分の発見にさも感心したように繰り返した。

「何かに似ていると、ずっと思っていたんだけれど、あなた、のらくろに似てるわ」

「漫画の、のらくろですか?」

「そう」

(中略)

「いや、まさか犬に似ていると云われるとは思わなかったな」薗田が苦笑するのへ、瀧子は言葉をかぶせた。

「犬じゃないわ、のらくろよ」

のらくろは犬ですから」

「違うわ。のらくろは、のらくろよ」

(中略)

「あなた、のらくろに似てる」

 二人のやり取りを人々が不思議に見守るなか、くうううと、妙に尾の長い男の笑いが高い天井に反響した。

 

 

 失礼とかそういう次元を飛び越えた唐突な発言をさせることで、緊張を一気に笑いに変えている。こういう小技が積み重なるたびに、読者はさらに作品世界にのめり込んでいくことになるのだろうなあ。

 

 

雪の階 (単行本)

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東京自叙伝 (集英社文庫)

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のらくろ中隊長 (のらくろカラー文庫 12)

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▼奥泉光の作品はこちら。『ビビビ・ビ・バップ』は面白かった。でも一番好きなのは『浪漫的な行軍の記録』かな。

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