わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

近視の桜

 六時起床。曇天。今年最後の寒の戻りらしい。天気予報の厳しい表現に怯えるようにしまいかけていたヒートテックを出してきてみたものの、やはり二月までの寒さと三月のそれとは根本的に何かが違うようで、いや、カラダが変わりつつあるからなのかもしれないが、とにかく、暑くて仕方ない。

 久々の休日。しかも、土日両日とも休める。午後は妻と買い物に出かけようと思っていたが、花粉症なのか、妻のクシャミが激しかったので見送ることに。午後はたっぷりと睡眠を取った。

 夜はランニングへ。16km近くを、1時間半かけて。あちこちで桜がほろこびはじめている。うっすらとピンクがかった白い花が満開になっているのを見かけるたびに、まさか、と思いつつ近寄ってみるのだが、ほとんどの場合、それはモクレンだ。夜中、近眼の男が遠めで見ると桜に見える。そんな期待や思い込みも少なからず影響しているか。

 

 読書は大澤真幸×國分功一郎「自由・中動態・責任」(「群像」2019年3月号掲載)。読み進めるにつれ、この概念が「〈世界史〉の哲学」のプロテスタントたちの思想と社会観・経済観(イコール終末観なのだが)につながっていき、そこに閉塞感のある現代社会・現代経済を打破するヒントがあるのでは、と考察を展開する大澤さんはやっぱりスゴい。「中動態」についても知りたくなったなあ。日本の古語の動詞変化はまさに中動態であり、我々はそれを未だに強く引きずっている。この曖昧さが英語教育の難しさなどに直結しているのだろうなあ。

 

 

群像 2019年 03 月号 [雑誌]

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〈世界史〉の哲学 近世篇

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<世界史>の哲学 東洋篇

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<世界史>の哲学 古代篇

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<世界史>の哲学 中世篇

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<世界史>の哲学 イスラーム篇

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