六時起床。葵は眠っているようで、起こしに来ない。朝からの暑さに辟易しつつ身支度するが、外はさほど晴れておらず、曖昧なカタチの雲ばかりが目立つ。湿度が高いようだ。シーツを洗濯した。
午前中は読書やら掃除やら。
昼食は、トマトジュースにめんつゆとオリーブオイルの特製インチキイタリアンつゆでそうめん。少しだけドライバジルをぱらりと。
午後から外出。三鷹市美術ギャラリーで「日日是アート ニューヨーク、依田家の50年展」を観る。50年前にニューヨークに渡り抽象画を中心に創作をつづけている依田寿久・順子夫妻とその息子・洋一朗の家族展。三角形にこだわり執拗にサンカクモチーフがリフレインする幾何学的な抽象画を描く寿久、地図や風景といった具象を取り込みつつも、画材に和紙などの立体物を取り入れて厚みのある世界を構築している順子の作品は、似ているようでも根本的にどこか異なっている。息子の洋一朗は、ダンスや舞台、音楽といったエンターテインメント性のあるモチーフで、微妙にシュールな、半歩だけ異世界に踏み込んだような作品が多かった。一番気に入ったのは順子のニューヨークの海を描いた作品。でも、一番おもしろいのは彼ら家族の日常生活の様子を写した写真やムービーかもしれない。アートと日常生活がぐっちゃぐちゃに入り混じってしまっている。
三鷹から一駅分ウォーキングし、吉祥寺で少し買い物をしてから帰宅。
瀬戸内寂聴「その日まで(12)」(「群像」2019年9月号掲載)。八月だからだろうか、戦時中の中国での夫との生活や戦後の引き上げ時のツライ記憶が、淡々と、しかし相変わらず業のような何かを引きずりながら、描かれている。
佐々木敦「全体論と有限 —ひとつの「小説」論—(10)」(同)。小説論なんだけど、今回取り上げているのは、あらゆる建築は終末に向かって構築されるという磯崎新の「プロセス・プランニング」という考え方、そしてジャン・リュック・ゴダールのトリッキーな近年の映画観。磯崎もゴダールも、よく知らないんだよなあ…。ま、この評論に登場する作家はほぼ知らない人ばかりなのだけれど。