わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

拍子抜け

 五時四十五分起床。曇天。盛夏の鋭い朝日はどこに行ったのだろうと、自然科学的天文学的な理屈は十分わかっているのについ、過ぎ行く季節を惜しむような、懐かしむような、妙な感覚にとらわれてしまう。また豪雨の地域があるという。そんなニュースは感傷的な気分など一瞬で吹き飛ばしてくれる。地域の自然災害だというのに、地球規模、という単語がふと思い浮かぶ。

 仕事。某社パンフレットの改訂版。

 午後、妹から連絡。父の診察に母と一緒に立ち会い、手術の日の段取りなどを聞いてきたという。一時間程度の内視鏡手術で麻酔の時間を入れても二時間くらいで終わるという。手術しないとステージの判定はできないのだそうだ。夜、実家に電話してみたが、予想より手術内容が軽くて拍子抜けしているのか、立ち会わなくてもいいと言っている。いや、行くけどさ。

 

 

 読書は田中和生叙事詩としての近代小説」(「群像」2019年9月号掲載)。村上春樹ノルウェイの森』の考察。舞台となった1968年〜70年ごろはまだな戦争中の状況を引きずっている、その様子がこの作品には描かれている、という分析は、『ノルウェイの森』が未読のぼくでもちょっと感心した。少し引用。

 

養老孟司が『運のつき』で、養老が、学生運動の参加者が竹槍を持って集合していた様子を見て仰天した、というエピソードを語っているのを受けて)

 実際に学生運動が盛り上がっていく過程では、目的はおなじでも方針が異なる派閥同士で暴力的な「内ゲバ」がくり返され、多くの若者たちが命を落としている。だから個人的な理由を超えたところで若者たちに死が強いられるという現実は、実は「一億玉砕」 を謳っていた戦争中と学生運動が起きている「戦後日本」でほとんど変わっていないのであり、なにより実用性のない竹槍による「舞踏訓練」がそのことを象徴している。

 

 

群像 2019年 09 月号 [雑誌]

 

 

あの戦場を越えて ―日本現代文学論

あの戦場を越えて ―日本現代文学論

 

 

 

ノルウェイの森 (講談社文庫)

ノルウェイの森 (講談社文庫)

 

 

 

運のつき 死からはじめる逆向き人生論

運のつき 死からはじめる逆向き人生論

 

 

今年もさんまは高いらしい

 五時三十分起床。残暑の厳しい一日。汗を拭いた回数を数えたら、どれくらいになるのだろう。そんな面倒なこと、絶対に試さないけど。

 朝イチから某案件の企画を進める。十一時に早めの昼食をとり、外出。荻窪駅までの道のりが、暑い。日陰がほとんどないのだ。銀行で一息つき、納税やら何やらと事務処理を済ませてから後楽園へ。別の案件の打ち合わせ。終了後、池袋西武のメゾンカイザーに寄ってから帰宅。帰り道もまた暑い。帰宅後シャワーを浴びたら、猛烈な睡魔に襲われた。

 夕食はさんまの竜田揚げを食べた。今年もさんまは高いらしい。だが、一度は塩焼きを食べたいものだ。

 

 読書は田中和生叙事詩としての近代小説」(「群像」2019年9月号掲載)。太宰「斜陽」の叙事詩性、つづき。そして「人間失格」、加藤典洋の『太宰と井伏』。

 

群像 2019年 09 月号 [雑誌]

 

 

あの戦場を越えて ―日本現代文学論

あの戦場を越えて ―日本現代文学論

 

 

 

斜陽 人間失格 桜桃 走れメロス 外七篇 (文春文庫)

斜陽 人間失格 桜桃 走れメロス 外七篇 (文春文庫)

 

 

 

 

完本 太宰と井伏 ふたつの戦後 (講談社文芸文庫)
 

 

今日の事件簿

  • せっせとお仕事事件
  • 妻の個展は無事終了事件(ありがとうございました)
  • 黒い長毛のレトリーバー事件
  • 茶トラが階段ダッシュ事件
  • 受け取れなかった事件
  • 仕事しすぎて親指が痛む事件

 

 

 

もう二度と

 五時四十五分起床。

 妻、今日と明日で祖師ヶ谷大蔵「ギャラリーパウパッド」での個展が終わる。ぼくは会場には顔を出していないのだが、かなりの盛況らしい。ありがとうございます。

 掃除、玄米炊いて漬物と目玉焼きで昼食。午後は買い出しに行ったり、仕事したり、夕食のカレーをつくったり。

 で、夕食はすりおろし野菜でつくったルーのゴーヤポークカレー。思いつきで、あまっていた焼き鳥のタレと納豆のタレを入れたらコクが出た。うまし。もう二度と再現できないけど。

 

 読書は田中和生叙事詩としての近代小説」(「群像」2019年9月号掲載)。のんびり読んでる。太宰「斜陽」の叙事詩性。

 

群像 2019年 09 月号 [雑誌]

 

 

あの戦場を越えて ―日本現代文学論

あの戦場を越えて ―日本現代文学論

 

 

 

雨上がり

 五時四十五分起床。雨。明け方はうるささを感じるほどの強さだったが、雨足は次第に勢いを失い、十時に打ち合わせのために家を出る頃には、ぱらり、ぱらり、と軽い煩わしさを感じる程度になった。傘をさすべきかささぬべきかと迷うレベルだったが、メガネを使う自分としては、こんなときは迷わずさすことにしている。レンズに雨滴がつくことのほうが、傘を開いてさすことよりもわずらわしい。こんなつまらないことでも、人は優先順位をつけてものごとを考えるのだな、と改めて感じた。

 十一時、京橋にて打ち合わせ。終わった頃には、雨は止んでいた。

 十四時、荻窪に戻ってルミネに新しくできていた「南国酒家ナチュラル」というお店で遅めの昼食。南国酒家という店の名前だけは知っていたが、入ったことはなかったな。ナチュラルと付いているから、普通の南国酒家とはちょっと違うのだろう。ヘルシー志向なのだろうか。玄米黒酢スーラータンメンを注文。普通のスーラーより胡椒が効いている。

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 戻ってからは黙々と作業。

 夕方、夕食の買い物ついでに軽くウォーキング。家を出た直後はふたたびパラパラと雨が落ち始めていたがすぐ止んだ。頭上の雲は厚く低く重く垂れ込めているが西の空で雲は少しずつ少なく軽くなり、複雑な陰影の夕焼けが広がっていた。自分のウデじゃ、うまく撮れないな。

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 読書は田中和生叙事詩としての近代小説」(「群像」2019年9月号掲載)。太宰「斜陽」。実は太宰はあまり好きじゃないんだよな。「女生徒」と「富嶽百景」くらいかな、好きなのは…。

 

群像 2019年 09 月号 [雑誌]

 

 

あの戦場を越えて ―日本現代文学論

あの戦場を越えて ―日本現代文学論

 

 

 

 

笑いながらぼやく

 五時四十五分起床。朝のうちは涼やかで空も秋のように雲がちぎれちぎれに広がっていたが、日が高くなるにつれて夏の気配が濃厚になり、厳しい残暑となった。八時過ぎから仕事をはじめたが、昨日、一昨日と午前のうちは不要だったエアコンの電源を九時にはオンにした。

 妻は祖師ヶ谷大蔵の個展会場へ。

 夜、妹から電話。父が膀胱がんらしい。すぐ実家に電話した。父は十数年前に胃がんになり、ステージ1だったができた場所が悪くてで胃を全摘している。今回も尿の色がおかしいことに気づいてすぐ検査し判明したらしい。チンコの先からカテーテルを入れて検査したのがイヤだったと笑いながらぼやいていた。CTなどの精密検査の結果が出るのが4日、手術が9日というスケジュールだそうだ。過去の経験と今の年齢、そして今の医療の進歩をさまざまなメディアや医師などから聞いているのせいなのだろうか、父の声に深刻さはない。ぼくも胃がんの時ほどショックは受けていないのだが、まあ、心配ではある。手術は立ち会うことにした。

 

 読書は「週刊モーニング」を少し読んだ程度。デジタル版、『西遊妖猿伝 大唐編』が毎日更新されている。気がつかなかった。

 

西遊妖猿伝 大唐篇(1)

西遊妖猿伝 大唐篇(1)