わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

夏の名残

 五時四十分起床。妻が出張中なので洗濯は自分でする必要があるが、掃除や朝の動物たちの世話は自分の担当なのでやることはあまり変わらない。

 台風一過。秋晴れ、と言いたいところだがまだまだ夏の名残は色濃い。キンモクセイが散りはじめているというのに、真夏日になるという予報もある。

 午前中は掃除と洗濯を済ませてからアイロン掛け。少し仕事。

 午後はランニングへ。善福寺川沿いを12km。途中、踏んづけた枯れ葉に足を滑らせて転倒しそうになった。うまく体勢を戻せたのだが、変なところにチカラが入ったようで、右脚のふくらはぎの下がちょっと痛む。たいしたことはないと思うが、念のため帰宅後にアイシングと圧迫。ランニングは一週間だけお休みしようと思う。

 

 大澤真幸「〈世界史〉の哲学 現代篇(11) 〈ラッセルの逆説〉と〈ヘーゲルの具体的普遍〉」。海洋進出の時代に確立したヨーロッパ公法と、その後の国際法、その両方に、イギリスがある意味矛盾したかたちで深く関わっているという点の考察。数学の「集合」の概念で説明すると、その矛盾点がよくわかる。この矛盾を納得できるものとして理解するための手引きとなるのが、ヘーゲルの「具体的普遍」。サッカーとアメフトの関係で喩えているところが非常に興味深い。

 

 

 

アタマが下がる

 五時三十分起床。台風接近。マンションの裏手の善福寺川は決壊まであと1mというところまで水位が上昇し、流れも早い。だが水を地下に逃がす工事が完了しているので、この程度の雨ならまだ大丈夫だろう。

 妻はこの雨のなか、個展開催中の仙台「またたび堂」へ。新幹線は問題なく動いていたようだ。コロナ禍としては、おかげさまで盛況の模様。対策万全でやってます。

 

 

 ぼくはドウブツたちと留守番。書斎に引き籠もって仕事、仕事、仕事。アタマが疲れたので小説や評論は読まなかった。コレだけ。角川版「幻魔大戦」の、ニューヨークでの幻魔との戦いから後の地味な展開をコミカライズするという面白い試み。作者は平井和正のご家族に了承済で書いているアマチュアの方。アタマが下がる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

思い切って寝る

 五時四十分起床。ここ数日多忙なせいか、少々目覚めが悪い。眠りの深いタイミングでアラームが鳴ったようで、淀んだような呆けたような感覚がしばらくつづいた。

 仕事。資料を読み込んではアイデアを掘り下げたり構造化したり、という作業がずっとつづいている。プロセスのなかでいちばん好きな部分ではあるのだが、エネルギーの消耗は激しい。なにかの拍子に集中力が途切れると、脳が疲労していたことに気付くのか、猛烈な眠気に襲われることがある。そのたびに、部屋をうろついたり、水を飲んだりして気を紛らわせる。あまりに睡魔が強いときは、思い切って寝る。いちばんの解決策だ。

 台風が近づいているが、妻は明日から仙台に出張。台風の接近と新幹線の時間が重なるのではないか、と気が気ではないようだ。

 

 読書は、高橋源一郎「オオカミの」(「群像」2021年10月号掲載)を少しだけ。

 

 

 

蜩の声を一度も

 五時四十分起床。未明に降っていた雨は起床したころには止み、身支度をしているうちに晴れ間が差し込んできた。空の青さに夏の気配はなく、心持ち涼しい。セミの鳴き声もかなり遠くなった。今年は蜩の声を一度も聞けなかったのが悔やまれる。

 仕事。某案件の商品理解を深めるために、ひたすら資料を読み込み、ノートをつくりつづけた。受験生みたいだ。

 夕方、妻と軽くウォーキング。西荻窪の、五日市街道のほうに向かう途中に造園業を営んでいるらしき家が数軒あるのだが、そのうちの一つが栗畑を持っていて、毎年この季節になると自宅で採れた栗(と、筑波など関東で採れた栗)をご自宅で売ってくれる。毎年買い損ねていたので今年こそ、と思い行ってみたのだが、まだ収穫できていないようだ。残念。

 

 高橋源一郎「オオカミの」(「群像」2021年10月号掲載)を読みはじめる。おお、カフカなのか。文体はちょっと宮澤賢治が入ってるな。

 

 

 

帰路で

 五時四十分起床。彼岸が近いせいか、この時間ではまだ外は暗い。日の出の時間はiPhoneの天気アプリによると五時二十三分だが、建物が多い東京では日の出からたかだか二十分程度では陽は差さないということか。

 仕事。某住設系案件。

 午後は後楽園にて打ち合わせ。帰路で雨に降られた。

 

 堀江敏幸「二月のつぎに七月が(38)」。トラクターを運転する愉しみ。

 古井由吉「こんな日もある 競馬徒然草(7)」。バブル崩壊後間もない頃の競馬。那珂川の氾濫のことなども触れられており、ドキリとした。ここ数年で気象が荒く激しい方向に変化しているとはよく言われるが、その片鱗は三十年前にすでにあった。

 斎藤倫「ポエトリー・ドッグス(8)」。賢治の「春と修羅」。妙にうねりのある文体と自然と人間の境目がなくなったような作品世界が学生のころ好きだったなあ。

 すべて「群像」2021年9月号掲載。やっとめぼしいところを読み終わった。明日から10月号を読もう。