わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

宿酔

 もう飲むまい。と何度誓ったことか。禁煙と断酒の誓いほど信じられぬものはないのかもしれない。あいにく喫煙の習慣はないが、酒にはついついだらしなくなる。近ごろは身体がアルコールを受け付けなくなってしまった。心のほうもそうなってくれればよいのだが、気の合う仲間とうまそうな料理、そして酒と三つの要素が重なると、たちまち溺れ、つぶれてしまう。飲まなければつまらないヤツと思われるのが堪らない。いや、他人に思われるがつらいのではない。自分がつまらないヤツだと思えてしまうことがイヤなのだ。とはいえ身体が酒を受け付けなくなった。飲めば少量でも潰れる。大量に取れば吐き、倒れる。ならば飲むまい。だがそうもいかぬ。この繰り返しが自分のこれからの人生になると思うと情けなくなる。つまらないヤツになってもいい。もう飲まない。金輪際飲まない。悪循環は断ち切ってやる。
 
 そんなことをおぼろげに考えては眠くなり、まどろみ、浅い夢を何度も見つづけた。気づけば十五時。夕方といってもおかしくない時間だ。カミサンの個展の閉場時間まであと二時間。ああ情けない。情けないが、起きよう。ひとまず起床し、猫たちの世話。花子も麦も呆れているのではないか。ぼくだって呆れている。自分自身に。
 掃除。LAN配線工事。風呂掃除。罪滅ぼしをしているような気分。身体はずいぶん楽になった。頭痛も吐き気もない。
 
 カミサンから電話。「けいこちゃんとゴハン食べてから帰る」ということなので、自分のメシを自分で用意することに。とはいえ、買い物に行くほど元気はない。残り物の薩摩揚げ、卵焼き、小松菜のおひたしで軽く済ませる。恥ずかしいがおひたしははじめてつくった。自分でつくると他人につくらせるよりうまい。主観がはいりこむからだろう。
 
 先に風呂に浸かってアルコールを汗とともに搾り出してから夕食の準備、というところで三階のO氏がやってきた。結婚のご挨拶と、テプコひかりの工事をするので許諾がほしいとのこと。いいとも。奥さんが猫を抱いている。毛のフサフサっぷりはチンチラか。話しかけたらフギャフギャと嫌そうな声を出された。名を訊く。モンジロウというらしい。モンジロウは紋次郎、木枯らしのモンジロウだろうか。オタクにはムギジロウちゃんがいらっしゃるんですよね、と奥さん興味津々で、もうひとり、花子ってのもいるんですよといったらうれしそうだった。猫仲間がほしいのだろうか。

 夕食を食べながら坂本龍一デヴィッド・シルヴィアンなどを聴く。カミサンがいないと音楽聴きまくりだ。ときおり、麦とぷちぷちが音に反応している。
 
 古井由吉『仮往生伝試文』。いかに聖人とはいえ、往生、往生、極楽浄土へ、とまわりに騒がれては落ち着いて往生などできぬ。往生後に妻の枕元に出てきた僧の話。往生してから、もう一度ゆっくり往生したい。おかしな話だが、わからぬでもない。
 死という状況は自分だけに関わることではない。だが、死そのものは自分だけしか関われない。ならば、どんな死が、どんな往生が理想となるのか。
 柄谷行人「探究II」を読みはじめる。近代哲学が繰り返し取り組んできた「私」という概念は、「私」一般のことを指すのであって、「この私」すなわち自分自身を指すものではない。

坂本龍一『US』
US (ソロ作品集)

レイン・トゥリー・クロウ『レイン・トゥリー・クロウ』
レイン・トゥリー・クロウ(CCCD)

デヴィッド・シルヴィアンロバート・フリップ『Damage』
Damage

柄谷行人『探究II』
探究2 (講談社学術文庫)