わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

無知/要領/雲流/恢復

 わからない。知らない。そんな状態から仕事がはじまることがある。はじめてのクライアントだ。自分が今まで買ったことはおろか、借りたことも、触れたことすらない商品を扱わなければならない。知らないものの魅力をどうやって理解するか。付け焼き刃な理解をどうやって広く伝えるか。それでも単純な消費財ならなんとかなる。これが無形商品、サービスの類いになると厄介だ。ここ数日オンライン証券会社の仕事に取り組んでいるが、株のこともオンライントレードというサービスのこともほぼ無知に近かった。慌てて本を読み、サービスを仮想的にだが体験してみる。それでも魅力を理解するまでにはかなり時間がかかる。総じてインターネット上のサービスというものは、ある程度の知識の下地がないと魅力を理解できないもののようだ。専門用語の嵐に対抗する術はほとんどない。こちらも用語知識を身につけ、目には目を、そんな意気込みでぶつかるまでだ。
 
 六時、起床。七時、事務所へ。証券会社L社パンフレットなど。
 午後、銀行へ。零細企業事業主の将来はサラリーマンよりも不安が色濃くてまいってしまう。一寸先は闇、一里先も闇。死ななきゃ光など当たらないのではないか、そんな悲観的な気分に囚われることは、まあそうそうあることではないが、それでもやれペイオフ解禁だの、年金問題だのと世間で大騒ぎしていては、少しずつではあるが心が引退後の生活資金という不安に侵食されてしまう。それが嫌なら今から手を打つしかない。去年は個人年金に加入した。だが年金は増えるものの、退職金というヤツがない。会社の預貯金から少しずつ蓄えるしかないか、と思っていたら、中小企業の事業主向けの退職金共済があるのを見つけた。それを申し込みに行ったわけだが、この共済を利用する者は稀なようで、行員はかなり処理に手間取っていた。ひとのよさそうな五十代の男性だ。だが、どこか要領が悪い。しかし、それでもサラリーマンには年金も退職金もある。金関しては勤め人のほうが自然と要領がよくなる。勤め先さえ安定していれば、日々の暮らしにゆとりも生まれる。が、それがうらやましいとは感じない。自営業の自分の将来が、まあ不安といえば不安、だがやり方次第でどうにでもなる。そんなレベルだ。
 
 雨が降ったり、止んだり、ぱらついたり。傘を差して歩くか、判断に迷う。雲の厚さも空の明るさもさほど変化はない。よほど大きな雨雲なのだろう。が、雨量の濃淡はあるようだ。それが、見えないほどの微細さで上空高く吹く気流にゆるやかに流される。雲の流れは、目では見えない。だが、雨量の変化で流れていることはわかる。いや、わかったつもりになることはできる。
 
 二十時三十分、店じまい。
 
 夜、父親から電話。父の日のプレゼントがもう届いたらしい。胃の全摘出手術から一年が過ぎた。まだ相変わらず病後の恢復は完全ではないが、それでもすこしずつ筋肉はつき、力も出るようになったらしい。あとは心の問題だけか。受話器から聞える声からだけ判断すれば、声にも陽の力がみなぎっている。心配する必要は、もうないのかもしれない。
 
 古井由吉『仮往生伝試文』。透明人間と穏形とは異なるものらしい。