わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

頻便

 六時起床。不思議といつもよりキビキビと身支度ができているようだ。そのくせ花子にゴハンを与える際にあやしてやったり、寂しそうな声をあげるたびに仕度をやめてそばへ行ってあげたりする。それでも早い。十分、いや十五分は早いか。どういうわけかいつもは寝ているカミサンが起きだしてきた。花子を抱いて見送ってくれた。気分がいい。外は湿度が高く気温も盛夏の夏を思わせる上がりかたではあるが足取りは軽い。などと調子に乗っていたら、鍵を忘れたことに事務所の玄関で気づいた。予備はない。仕方ないので家まで戻った。そうなると足取りはせかせかするのに重くなる。気がはやるが失敗した自分の不注意さ加減を思うと気が重くなる。暑い。汗が出る。事務所に行って、帰って、また行って。十五分で済む通勤が、四十分以上もかかってしまった。指さし確認でもクセづけようか、などと日常生活ではさほど効果もなさそうなことを考えながら仕事についた。
 
 L社パンフレット。午前中は何度も便意に襲われた。かといって下痢ではないからおかしなもんだ。ふつうの大便が、ふつうの量だけ、朝から十三時ごろまでにかけて四度も出た。四十分の徒歩通勤が腸を活発にさせたのか。毎日快便と思い込んでいたが、じつはこれだけ溜め込んでいたのかもしれぬ、と思うとぞっとする。
 
 十四時、三番町のJ社で打ち合わせ。某ラジコンメーカーのウェブサイト。ディープな世界だが、初心者をうまく取り込みたいらしい。
 十六時、吉祥寺へ。パルコの「リブロブックス」で、ラジコン専門誌と「PEN」「MONO Magazine」を購入。ユザワヤでラジコン売場を視察するが、あまり参考にならない。西荻に戻り、北側にあるラジコン専門店に何も知らない客のフリをして、今回のクライアントの製品について根掘り葉掘り聞いてみた。
 
 二十時、店じまい。
 
 夕食はチーズオムレツ。朝食みたいだが、最近ちょっとハマっている。
 
 多和田葉子『ゴットハルト鉄道』より「ゴットハルト鉄道」読了。男の体内。胎内。ペニスの詰まった胎内。胎という字を男性の肉体に使うとたちまち性というものの意義があやふやになる。だがそれでも男は男、女は女だ。倒錯した性。だが深層では決して倒錯していない。その世界を覗くには、倒錯したトンネルをくぐるしかない。
 古井由吉『仮往生伝試文』。狐に化かされて十三日間、縁の下で暮らした男。十三日間は、男にとっては十三年にも相当した。化かされる、つまり狂気から正気に至る過程は、往生を目指す者たちのエネルギーと精神性に共通するものがあるかもしれぬ、と作者は考える。
 果たしてそうだろうか。男は正気に戻るために陰陽師の力を借りたようだ。往生は信仰のみに頼る。信仰とは神仏を信じるだけのことではない。己自身を信じることだ。狂気の者が正気に戻るには、狂気に囚われた自分をまず捨てなければならない。あるいは、受け容れたうえで否定しなければならない。そうすることで自己を客観化する。その過程が往生というものにあるのか、ないのか。うーん、あるような気もしてきたなあ。往生を願う心を狂気と呼ぶのは不謹慎だが、どこか通じるところがあるような。