わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

熱差

 汗で目が覚めた。湿度で目が覚めたといったほうが正確か。体中を、薄い水の膜で被われた気分だ。目は覚めたが、身体は覚めていない。不快感を不快と感じるまでにずいぶんと時間が経った。いや実際は一瞬かもしれない。ともかくアタマも身体も目覚めた。起こしてくれたのは花子である。五時三十分ごろだろうか、フニャンフニャンと鳴きだした。湿気の膜を振り払うように身体を起こし、ゴハンを与えた。あと三十分だけ寝よう。そう思い和室の蒲団へ戻ろうとすると、またフニャンフニャンが聞えてくる。寂しそうな花子が気になってしかたない。やむを得ず起きて、花子をあやしながら身支度をはじめた。
 ここのところ、花子め我儘さも気まぐれさも増している。しかし、激昂されるよりはよい。以前の花子に戻った感じか。なら麦次郎との完全同居の時は近い。
 
 七時、事務所へ。油断するとすぐに部屋の中に熱がこもる。窓を開け、扇風機をまわして空気を循環させてみる。それだけで体感温度はずいぶん下がる。だが今年初の冷房のスイッチをいれるのは、そう遠くのことではないようだ。十四時から八丁堀のJ社で某旅行会社の打ち合わせがあったが、JRも地下鉄も冷房は効きすぎている。綿麻の開襟シャツを来ていたが、冷気がシャツを通り越して身体にスースーと当たる。冷房っていやよね、と毎年夏になると口癖のように愚痴るOLのように冷える身体を抱え込むようにして坐った。この分では、クールビズ普及はまだ遠い。
 
 帰社後はラジコンメーカーのウェブサイトの企画、証券会社のパンフレットなど。気づけば二十一時。慌てて帰宅した。
 夜になれば外は涼しい。これが毎夜、八月になってもつづけばと思う。
 
 夜、ストレッチしながらデヴィッド・シルヴィアンの『Everything and Nothing』をちらりと聴く。「はてなダイアリー」のデヴィッドの欄にある紹介文は、以前ぼくが「Every Colour You Are」というタイトルの彼のファンサイトを公開していたときにつくったページのまるまるパクリだ。どうでもいいけど。
 
 多和田葉子「無精卵」。小人みたいな変なのと、マネキンみたいな変なの。そういえば、主人公も変なの。作者も変なの、といってしまえばそれまでの話だが。
 古井由吉『仮往生伝試文』。楽の音。



Everything & Nothing
David Sylvian「Everything and Nothing」