わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

寝蓄/転々

ファンケルのカフェのケーキ

 寝溜めは医学的・生理学的には意味がないらしいと、こかで読んだか聞いたかで知った。そんな知識があるから、土日の寝坊は寝溜めではない。寝たいから寝るのだと自分に言い聞かせながら惰眠をむさぼる。もう何度も日記に書いたが、日々の習慣はおそろしいもので、土日の気が緩むときであっても、花子に起こされる前に目が覚め、いつもどおり明け方にゴハンを与えることがある。寝るぞ、寝るぞ、ダラダラ寝てやる、惰眠だ、思いきりだらけてやる、そう心に誓っても、きっちり定刻――と呼んでいいのか――に目が覚めるということは、やはり気が緩みきっていないということだろう。脳のどこかに緊張がある。アタマのどこかで、仕事やら文学やら、そして花子と麦次郎のことが気にかかっている。花子が気になっていて花子のために早起きするのなら、まあ納得が行く。愛情ゆえの尊き行為と言えなくもない。だが実際はおそらくそうではない。数カ月前、花麦のケンカが勃発してからはそんな日も多かった。だが花子はすでに落ち着きを取り戻し、同居も目前に控えているような状態だ。いつも通りにしていることが、花子をいちばんリラックスさせる。愛情ゆえの不自然な行為など、おそらく花子は望んでいない。気ままな要望は出すものの、暑苦しいお節介は不要と考えているはずだ。花子にゴハンを与えるための早起きとはやはり口実かコジツケで、目覚めの理由は自分でもわからないが他の部分にある。ひょっとすると深層心理に関わることなのかもしれない。美輪明宏江原啓之風に言えば、前世で早起きを繰り返していたか。
 あれこれ書いてみたが、結論はない。ただし、一度起きたら二度寝する。これは土日のパターンである。二度寝は花子と一緒にしてみた。が、気づけばどこか遠くにいる。
 
 九時起床。いつもより三時間余分に寝たか。だが寝溜めではないのは前述の通り。
 
 午後からカミサンと恵比寿「ギャルリ カプリス」へ。カミサンの作品を納品する。つづいて銀座へ。松屋で「ヨウジヤマモト」をチラリ覗いてから、伊東屋で某筆記具メーカーの仕事の資料としてカタログを収集。アディダスのショップにも寄るが、ここも覗いただけ。ファンケルのショップへ。二階のカフェでお茶をするが、うーん、あえてここに書き連ねたくなるほどの味ではないなあ。まずくはないが。ビッグカメラへ。腱鞘炎対策のためのペンタブレット――マウスやトラックボールより腕への負担が軽くなる、と考えた――、給与計算ソフトを購入。御徒町へ移動。カミサンの「石なまけ」の材料を調達。多慶屋でカミサンの腕時計、風呂場に置くための防水時計――風呂用の置き時計は高いので、九百円の5気圧防水のデジタル腕時計をつるすことにした――、ぼくのクライアントの筆記具メーカーが出している、廉価版の定番ボールペン1本を購入。西荻に戻り、「西荻餃子」で餃子を、生協でキュウリ、鶏ささ身などを購入して帰宅。
 ずいぶんあれこれ回ったもんだ。
 陽射しは雲越しで柔らか、湿度は高めだが幾分風を感じるせいか、息苦しさは感じない。肌が汗に濡れることもない。電車の中では混雑していると人いきれでむせ返るほどになることもあるのに、そういった不快感はほとんど感じられない。梅雨の梅雨らしさが弱まっている、と思った。
 
 花子の横腹が濡れているようなので、確認するとペタペタしている。ブラシングしてみたがほとんど取れない。濡れた布で拭いたが、多少増しになった程度だ。家の中に、花子自慢の体毛を汚すようなものは置いていないはずだ。と書いていたら心当たりがあることに気づいた。ここのところ、花子は洗顔中に洗面台の上に上ってくることが多い。ここにはあれこれ化粧品やら石鹸やら歯ブラシやらが並んでいる。その中に、カミサンのクレンジングオイルもあったはずだ。おそらくこれだろう。オイルの蓋が開いていなくても、陽気のまわりに付着した油があちこちにスリスルするのが好きな花子の腹についたという可能性はある。
 
 古井由吉『仮往生伝試文』。夏。異常気象。人間の生における、「死」