わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

三角/公約

 九時三十分起床。もっとも二度目の起床だ。経緯は昨日とまるで変わらない。
 書斎で寝るときは、タオルケットと枕だけ持っていき、本棚の前に起きっぱなしのシーツだけを取りあえず床に敷く。面倒なので蒲団は敷かないが、これがよくないのか、起きると背中がひどく痛む。板のような床にぴたりと背中を密着させていたからだろうが、背中が板になったように感じる。もっとも、少し動けば板はすぐに肉へと変わるが、やはり床で寝るのは気分のいいものじゃない。学生時代はよく雑魚寝をしたが、そこら辺に適当に転がっていれば疲れが自然と癒えてしまうほど若くもない。
 花子は今朝もフニャンフニャンと鳴きつづけた。
 
 持参したタオルケットと枕を掴んで蒲団を敷いてある和室へ戻ると、うつぶせになったカミサンが麦次郎とアタマとアタマを寄せ合うようにして、半分にやけたような笑顔で顔を横に向けて寝ている。
 
 掃除を済ませてから、麦次郎とすこしだけ遊んだ。最近はショートパンツを履くことが多いが、ほんのり汗ばんだ生足で組んだあぐらはお気に召さないようで、「サンカク」と呼んでいるこのスペースにスポリと入り込んで遊べ遊べと挑発することが急に減った。ところが今日はひどく涼しい。半ズボンだが、汗はかいていないからか、サンカクにスポリと飛び込んできた。モミクチャにして遊んでやった。ぼくも散々ケリケリされたり噛まれたりした。ぼくと麦の遊びは、猫同士のじゃれあいにかなり近いかもしれない。
 
 午後、近所の小学校に都議選の投票に行く。後で知ったが投票率は35%とかなり低かったらしい。有権者の投票に対する意識の低さばかりがクローズアップされるが、投票したくなるような雰囲気づくりとでもいおうか、この一票を投じなければ世の中がよりよく鳴らない以前に、自分の生活がよりよくならない、ならばその一票を投ぜよ、自分のために。そんな、切羽詰まった主張でもあれば多少は背中が押されるか。これは自治体の仕事というよりも、立候補者の仕事なのかもしれない。社会とは個人の寄り合いだ。その個人に向けてのメッセージがなければ、誰も立候補者を見てはくれぬだろう。立候補者自身の主義や哲学などどうでもいい。偉そうなコトばかり並べるヤツなど糞喰らえ。おれたちの暮らしをどう変えてくれるのか、それをもっと具体的に見せてくれ。共感できれば、おれの一票をくれてやる。
 カミサンと以前話したのだが、区議選、都議選といったローカルな選挙の場合に限ってかもしれぬが、女性の立候補者のほうが、公約の内容がわかりやすいようだ。男は妙に観念に走る。自分も観念的な話が好きだからあまり批難はできぬが、観念的すぎて具体性に欠けていたり、妙に生活者のレベルから乖離していたり、遠い未来を見過ぎていたり、とそんな場合が多いようなのだ。女性はすぐ近くの未来を見る。変えられるところから変えようと思うのか、変えられるところしか見えていないのかはわからない。だが共感できる公約になっているのは大抵女性だ。
 投票率は天気にも左右されるという。夕方からは空が崩れた。これも影響となったのだろうか。
 
 投票を済ませてからは事務所へ。溜め込んでいた事務処理を済ませる。カミサンは「石なまけ」の発送に大忙しのようだ。
 十九時、店じまい。
 
 夕食は久々に腕をふるった。キーマカレー。トマト缶ではなく、茨城産のトマトを角切りにして使った。いつもよりフレッシュ、夏らしい味に仕上がった。
 
 古井由吉『仮往生伝試文』。西に向かって念仏を唱えるかわりに、家族に向かって減らず口をたたく。それでいて遺言のことなどにぬかりはない――。現代の往生とは、こんなものか。
 
 そうそう。数日前に「篠突く雨」のことを書いたが、あれは「篠(細い竹)のような雨が突くように降りかかる」という意味ではなく、「篠の原に雨が降るときの音」の意味と取る解釈もあるようだ。