六時起床。いつもより湿度が高いのか、熱と水分を抱え込んだ分厚い空気がずしりと全身を圧迫するような感覚で目覚めた。七時、事務所へ向かうが歩いてもおなじ感覚に囚われる。この厚い暑さ――とはおかしな表現だが――にみな白旗を揚げたのだろうか、今朝はほとんど駅へ向かうひとをみかけない。いつもの半分以下だろうか。年々夏休みは各企業とも分散して取る傾向が強まっているとはいえ、夏休みを取る時期はお盆前後にどうしても偏ってしまい、となると必然的に月曜である今日から金曜まで、つづけて休む人が多くなる。それで通行人も減ったというわけだろう。アタマでは理由がわかるものの、感覚がどうしても納得してくれない。感覚もまた日々の習慣に感化されるようだ。
某社の企画のために、日中は延々とチャールズ・シュルツの『PEANUTS』について調べつづける。スヌーピーとチャーリー・ブラウンの『ピーナッツ』だ。二冊ほど作品を買い、そのほかWebやスヌーピーグッズの通販カタログなどを熟読。妙に哲学的で人生訓的な切り口から4コマをはじめるくせに、ラストはどういうわけか「ヤレヤレだ」で終わる独特のパターンがユニークだが、日本人にはちょっと理解しがたいものがある。おなじ新聞連載4コマである『サザエさん』などの明確な起承転結とは明らかに展開が違う。レイモンド・カーヴァーあたりの小説に近いのかもなあ、なんて思いながら読み進めた。
そういえば、スヌーピーってアライグマより五十五年も前から二本足で立ってテクテク歩いてたんだよなあ。コスプレもするし。
シュルツに吉田戦車を読ませたら、いったいどんな感想を述べてくれただろうか。そのシュルツも、没後五年が経つ。
ほか、某カラオケボックスのキャンペーンなど。
二十一時、店じまい。
花麦、おおきな進展ナシ。進展が感じられないくらい、関係が恢復しているということか。
奥泉光『石の来歴』。だんだん階段じみてきた。奥泉はストーリーテラーであるとつくづく思う。
コミック:チャールズ・M・シュルツ
訳者:谷川俊太郎
著者:ほしのゆうこ
『スヌーピーこんな生き方探してみよう』
もちろん、原作中ではどのキャラクターも読者に生き方探しを強制したりはしない。むしろ、そういった姿勢を無意識のうちに戒めることで、上手に脱力して生きることの大切さを超間接的に伝えようとしているように思えるのだが。教訓を強制する作品は、作品ではない。