わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

光止/続笑

妖怪。

 目覚ましが壊れたようで、六時に起きるつもりが十五分ほど寝坊した。だが大慌てで身支度する必要もない。いつもどおりの朝だ。
 
 七時過ぎ、事務所へ。うっすらと黒みを帯びた雲がゆるく空を覆っている。気のせいか西荻窪の街も、朝だというのに薄暗い。空に延びる雲が地上まですっぽりと覆っているようだ。だが、ガスっているのとは少々ちがう。光が厚い空気に遮られ拡散するのではなく、光自体が輝きを押さえ込まれているようである。夏の太陽を受けては返す木々の梢の濃緑や、庭先やベランダで静かだが力強く咲く夏の花々の色みが鈍い。
 
 終日、例の二本足で歩くコスプレ好きのビーグル犬のことばかり考えつづける。煮詰まった。
 午後、夕立。光を押さえ込んでいたのはこれだったのかもしれない。雨雲が去れば、桜並木もひまわりの花も、昨日までとおなじように鮮やかな光を見せてくれるだろう。
 
 十九時四十分、店じまい。西友で、昨日麦次郎に就寝前に破られてしまったパジャマの代わりを買う。夏物大処分の時期なので助かった。ほか、部屋着用にアホみたいに安いTシャツ、靴下など。目覚まし時計も新調したが、ノーブランドとはいえ電波時計がたったの1,000円で手に入った。笑いが止まらん。

 ところが。その電波時計、自宅では電波の状況が悪いのか、受信ができず時刻合わせがまったくできない。仕方ないので手動で合わせたが、どうも釈然としない。
 
 夕べ録画しておいた「オーラの泉」を観る。ラルクのtetsuがゲスト。かなりネガティブなひとらしい。今まででいちばん厄介なゲストかも、などとカミサンと話しながら観ていたが、じつは学生時代にtetsuとおなじような心境に陥ってしまったことがある。自分でも理由はよくわからない。四年くらいはつづいただろうか。ただし、そんな感情に自分が完全に支配されていたわけではない。矛盾した感情が常にせめぎあっていた。何もしたくないという衝動と、前に進みたいという衝動、両方に突き動かされながら、わけもわからず生きていたように思える。そのころに自分がしたことは事実として思い出せるが、そのときの感情がよく思い出せない。今でこそそんなことはまったくないのだが、江原さんにオーラが黒い、前世のつらい一生をひきずりつづけていると告げられ、美輪にネガティブな生き方をどうにかせよと喝を入れられるが、彼らの言葉がなかなか実感できないでいるtetsuの姿を哀れに思う反面、深いところで共感できてしまった。
 
 奥泉光「石の来歴」。次男、学生運動で大いに暴れる。