わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

煙脳/父殺

 少々体力に自信がなかったので一時間ほどいつもより余計に寝ることで暑さやら忙しさやらが奪っていった活力を取り戻そうとしたが、起きた時点では狙い通りだったかはまるでわからず、恢復できたか否かの判断がつかぬくらい寝ぼけて脳が煙のようになっていた。だが身支度をはじめれば多少はしなびた身体や心もシャッキリしてくるようで、家を出たころには夕べ自分が疲れていたことなどほとんど覚えていない。自分に都合のいいことだけ記憶しておくのは処世術のようなものだが、これで世渡りできたためしがないのが問題だ、などと考えながら歩いていたら汗が吹き出てきた。今朝も暑い。

 休暇前なので仕事がダンゴになっている。着実にひとつずつこなしていった。
 十六時、水道橋のE社で打ち合わせ。冷房が効き過ぎていて脳味噌がまた煙みたいにぼやけてきた。が、外に出ればたちまち恢復してしまう。
 
 二十時三十分、帰宅。
 
 ドラマ「電車男」伊藤淳史演じる主人公は、オタクかもしれないがオタク以前に小心者だ。小心者に悪人はいない。だがオタクには悪人もいるようだから困る。
 
 金井美恵子『タマや』読了。暴走する表層的な意識と、わざとらしいほどの偶然のぶつかりあいを通じて、反エディプス(父殺しの神話)的な物語、つまり「私の父は殺すに値しない、それ以前にどこにいるかもわからない」「わたしはろくでもない父親になろうとしている」「このままではわたしは父親にすらなれない」といった内容の物語が、あきれるほどダラダラとつながってゆく。それと対照的に、登場する女性たちのエネルギッシュさには圧倒されてしまう。思えばこの作品が書かれた八十年代は、女性のエネルギーが急激に高まりはじめた時代でもある。小説は時代を写す鏡というわけか。
 作品発表から二十年が過ぎた。父親は、殺すに値しない存在のまま、わけもなく殺されるようになってしまった。「このままではわたしは父親にすらなれない」不安を抱いたヒッキーやニートたちに意味もなく殺されてしまうのだ。今こそ、このいい加減だが緻密に、そして空前絶後の描写力でダラダラと書かれたこの作品をマジメに読み返すべきだ。そして、父性とはなにか、オンナとは何かをダラダラと考えるべきだ。
 
 奥泉光『石の来歴』。長男刺殺の秘密が暴れる。