わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

恵雨/餓死

 六時三十分起床。昨夕から降り出した雨は、いつの間にか止んだらしい。ベランダの手すりに点々と付着する雨滴が、最近カミサンが「石なまけ」の材料に購入する、磨きをかけた水晶のように見えた。空が晴れていればきらきらと光を反射してくれたかもしれないと思うと少々残念だが、朝からそんなに晴れていては日中に困る。残暑とは言え、まだ陽射しは強い。恵みの雨とは、作物が力強く育つために必要な「恵み」であると同時に、灼熱の光線からひととき逃れ活力を蓄える充電時間としての「恵み」でもあるのかもしれない。
 また降り出しそうな空の表情を見て、今朝の散歩は取りやめた。
 
 午前中は荻窪駅前へ。銀行数箇所を回り、支払いなど。「無印良品」で処分価格になっていたTシャツを一枚購入する。1,000円。
 
 午後は霞が関のD社で打ち合わせ。外務省前はクールビズくずれのよれた男性がいっぱい歩いていた。ファッション業界は、夏のビジネススタイルをもっと真剣に開発すべきだ。
 
 花子、後ろ足の肉球が軽く腫れている。ひどくなる前に病院に連れていきたいが、台風がきたら大雨の中キャリーバッグを抱えて歩くことになるので少々しんどい。どうすべきか。

 野坂『東京小説』。「慈母編」というタイトルの短編、まさに現代版の「火垂るの墓」。壮絶な兄妹餓死小説。「火垂るの墓」と違うのは、「火垂るの墓」が戦争で飢えるのに対し、「慈母編」は母親の淫乱放蕩な血で飢えるという点。満たされなければ、飢えて死ぬ。それは胃袋も心もおなじことらしい。
 
 阿部和重グランド・フィナーレ」。おお、『シンセミア』と世界観がつながった。