六時三十分、起床。雨音よりも家の裏を流れる善福寺川の流れの音が先に耳に飛び込んだ。台風が関東地方に接近している。雨量が増えれば、コンクリートで河岸を塗り固められた貧相な川でも流れの勢いは増す。謹慎を解かれた暴れん坊の学生みたいに元気がよいのは喜ばしいが、決壊などして困った事態にならなけれ、とつい願ってしまう。しかしぼくがこの界隈に住みはじめて十年、いまだ川が氾濫したことはない。
午前中は事務処理。午後、八丁堀のJ社で打ち合わせ。
今回の台風は小型で速度も遅いようで、いつまで経っても暴風域に入らないような感覚がある。夕方は強い雨風に足止めされるのを覚悟で出かけたが、梅雨時の音もなく降る静かで細かな雨滴がハラハラと散る程度だったので拍子抜けした。だが、この日記を書いている今はついに東京も暴風域内か、川の流れより雨がアスファルトや家々の屋根を打つ音のほうが強く響き出した。
雨音を聴くとプリミティブだなあ、と感じてしまう。古代の儀式で用いられた太鼓のリズム、あれはひょっとすると雨が大地を打つ音や、風が樹木を吹き抜ける音がもとになっているではないか。そこに古代人たちの心臓の音、息づかいの音が重なる。四方八方にエネルギーを放射していた自然の音が、ニンゲンの心臓や呼吸と出会うことで集約され、リズムを得る。それが祈りの音となって、神の登場と過誤を願う者たちによって奏でられるのではないか。
夜、「電車男」を観る。主人公が入院。ベッドにあった担当医の名前が「Dr.ナカマツ」になっていた。
野坂『東京小説』。インモラル、という主題。テーマとしては安易だが、その本質を掴むのは意外に難しいようだ。