わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

留守/本場

島豆腐、海ブドウ、麦次郎。

 八時四十五分起床。身体が蒲団に溶けたような感覚に全身が覆われ、なかなか起き上がることができない。疲れているというわけではないだろう。怠惰なだけだ、おそらくは。
 昼食後、花麦に留守番を頼んで外出。家から南へ歩いて五分ほどの場所にある荻窪八幡の分社らしい神社に行ってみる。が、どうやら荻窪八幡は今秋祭りの真っ最中らしく、そのせいか境内は神主も巫女もおらずひっそりしていて、肝心のご神体まで留守にしているのではないかと思えてくる。軽く境内を一周してからすぐに出た。
 秋分の日は目前、暑さ寒さも彼岸までというが、ならばこの数日が最後の暑さなのだろうか。空は夏よりも高く薄く淡いが、陽射しはどこかセピアを帯びているが鋭い。流れるわけではない、ただじっとりと湿る汗を歩きながらぬぐうのが意外に一苦労である。すれ違うひとたちはまだ夏服を着ている。ファッションにうるさそうな若い女性は早くもブーツを履いているが、あの中の状態をぼくは想像したくない。もちろん臭いも嗅ぎたくない。
 アメックスの本社ビルの前を通り、天沼陸橋の手前の角を右に折れ、太田黒公園へ。高名な音楽家であった太田黒元雄氏の私邸を没後杉並区が日本庭園の公園に変えた。日本庭園というよりは、森の中にある日本庭園のような一角。錦鯉が泳ぐ池をわけへだてるようにつくられた橋や飛び石、池の水辺に覆いかぶさるように植えられ育った紅葉の木。なるほど日本的ではあるが、、すらりと高く伸びたケヤキの木、樹上に広がる枝葉を見ていると、日本だのなんだのと、そんな形式に区別することがばからしく思えてしまう。その庭園の一角に、ノスタルジックでメルヘンチックな一軒家がひっそりと建っている。これが旧太田黒邸だ。住居はほぼ当時のままで残されている。一階の、リビングルームだったらしい空間だけなら見学もできる。壁一面を占領する大きな書棚からは古い木の匂いが漂ってくる。スタンウェイの年代物らしきピアノが置いてある。太田黒氏が実際に使っていたものではないようであるが、おそらく同じ場所にピアノは置かれていたにちがいない。だが、スタンウェイは当然ながら弾かれないまま、書棚には一冊も本がない。主不在のさみしい屋敷。
 四阿で来る途中に購入した菓子パンを食べていたらたくさん蚊に刺された。カミサンよりぼくのほうが三倍も指されているのがクヤシイ。
 そのまま青梅街道に出て、阿佐谷まで歩く。沖縄直送の食材を扱うお店で、島豆腐、アセロラジュース、海ブドウを購入。海ブドウは採ったままの状態のものを、海水に浸けたままパッケージにしてあるものだ。少々高いが、鮮度はよいという。
 地下鉄で荻窪まで移動し、ゴーヤ、卵などを買って帰宅する。
 夕食はいわずもがな、ゴーヤチャンプル。はじめて自宅で島豆腐を使ったが、その固さと重たさに改めて驚いた。鍋を振ってもあおっても全然型くずれしないのがうれしいではないか。海ブドウは青じそドレッシングで食べた。沖縄料理店で食べるものより美味ではないか。柔らかいのに弾力があり、小さな粒でも味は濃厚。たちまち磯の香りが口腔に広がる。
 中秋の名月。柔らかな光ではない。するどく地上に突き刺さってくるような光。それでいて、なぜか優しい。柔らかさと優しさは別なのだ、とベランダで洗濯物を取り込みながら痛感した。
 
 古井由吉「針ノ木の峯」「旅の心」。かわいい迂回、という感じの文章。これ、短すぎるけどやっぱり小説なんだろうなあ。