わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

吸覚

鹿ちゃん。

 雨音はしないが、雨の気配は感じられる。聴覚ではない。まして蒲団のなかにいるのだから、視覚でもない。窓を閉め切っているのだから嗅覚でもない。では何が雨をかんじさせているのだろう。触覚、肌の感覚か。冷たい雨に冷やされ、それでいてどこからか家の中に静かに入り込んだ水の気が、まだ目覚めきっていない身体を包み込むように触れる。吸覚というものもあるのではないか、と寝ぼけたアタマで考えてみる。息を吸う。その空気を身体の中で、鼻孔から喉、肺、そして酸素を得た血液や器官の細胞で、感じる。身体の内側に入り込んだ外気を細胞が読み取る、とでも言おうか。もっとも目覚めてすぐに自分の感覚がそれほど研ぎ澄まされているとは思えない、いや逆か。目覚めていれば、様々な情報やら雑念やら己の感情やらに、感覚はゆるやかに、ときには一気に濁る。濁らせずに一日を過ごすことはできるか、と思ってみたが、濁り自体にも魅力があるのではないかと考え直した。濁りとは、弱さである。先行きの見えない不安である。そして不安を覆い隠す幕でもある。その幕をうまく使いこなせればよいだけの話だ。
 六時三十分起床。雨は思った通り霧雨で、道や庭の木々やベランダをゆるやかに濡らしている。肌寒い。
 午前中は食品メーカーのフェア企画、証券会社パンフレットなど。午後から外出。十三時、雨に服を濡らせながら、銀座にある販促エージェンシーのT社へ。軽く打ち合わせしてから、代理店B社にて打ち合わせ。だが案件はすぐにスタートしないことに。このあとがフリーになってしまった。どうしようかと思案していると、V社のZ氏から呼び出しがかかり、十五時三十分から急遽打ち合わせ。ところがこの案件もすぐにスタートできないことに。めずらしいことだが、今日の夕方からしばらく作業がなくなってしまった。みな手離れしているか、あるいは待機の状態だ。
 十七時、帰社/帰宅。開き直って、のんびり過ごすことにする。ヒーラーのしまちゃんhttp://www.geocities.jp/nekogasima/に伝授してもらったセルフヒーリングの手法を使ってリラックスしてみたら、そのままグースカ眠ってしまった。
 夕食後、昨日買ったスコッチ「グレンフィディック」を飲んでみる。甘口でフルーティ。どちらかというと女性的か。好みのスコッチは「ザ・グレンリベット」や「ジョニーウォーカー」のようなスモーキーな感覚のある男性的なものだが、これも捨て難い。おなじ女性的な味とはいえ、「バランタイン」が貴婦人だとすれば、こちらはもうすこし元気がよい感じ。とはいえ庶民的というわけではない。強烈な個性をもった二十代か三十代の魅力ある女性といったところか。
 
 大江『さようなら、私の本よ!』。繁の「プラン」がすこしずつ明らかになる。
 古井由吉「海辺にて」。この作家にはめずらしい、ショートショートである。物語になっていて、ちゃんと落ちがある。