わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

ドストエフスキーのこととか

 六時二十分、すなわちいつもより十分だけ早く起床し、外を見れば雨、という天気予報はみごとに外れ、呑気ないわし雲が東の空に延々と続くのを眺め、それがほんのりオレンジ色を帯びているのに気付き、朝焼けってヤツは午後になると空模様が怪しくなる、その兆候だったな、じゃあ夕方からは雨か、しかし今日は外出の予定は一本もないな、いわし雲みたいに呑気に働くか、とおかしな調子に腰を据え、花子にゴハンを与えてから身支度、身支度、せっせと身支度、そして植物の世話、ごみ捨てなどし、机に向かいて、こころにうつるよしなしごとを、とできればそりゃうれしいが、そうもいかない、やらなきゃいけない仕事はソコソコあるわけで、八時からじっくりとり掛かってみるが、悪戦、苦戦、大苦戦がつづき、ああほんとうにこの仕事は終わるんだろうか、などと思っていたらなんとか十八時にはメドがつき、よしこれで終わり、とできればいいのに、この仕事、すなわち某カラオケチェーン店の企画なのだが、これを手掛けている間にかかってきた電話は数えきれず、いや数えられるが数えていないから覚えられず、まあそれくらい多くの電話がかかってきて、そのたびにわが思考は中断、復帰してもすぐに別件に追われ、落ち着いたと思えば今度は花子がベタベタと甘え、キーボードに添えた両手の上にドカリと身体を載せ、フンガフンガゴロゴロフンガフンガと喉をならしながら、ぼくと触れ合っていることを喜んでいるのだが、こっちはまあ、花子にベタベタされるのはまんざらじゃないが、今はそれどころではないことくらいわかっており、花子様、あんたの猫缶、大好きなゴハンを買うお金を稼ぐには、このカラオケチェーンのお仕事を、さっさと終わらせなければいけないんだよ、そう話しかけてみても当然花子の態度は変わらず、しかしだからといって邪険に扱うことはできず、なにしろぼくは花子にメロメロだから、と思われるひとも多いかもしれぬが、確かにメロメロ、情けないほど、腰砕けなほど花子にはきびしさを貫くことができないアマアマな飼い主なのではあるものの、じつは仕事中は意外に思われるかもしれぬがクールで、いいこだねえ、かしこいねえ、かわいいねえ、とあやし文句を連ねるものの、仕事の邪魔となる場所にいるなら、ただちに撤去、もとい移動をお願いし、それでも動かなければそっと抱きかかえて、どこかへポイ、とするが、そのポイ、が花子にとって幸せかどうかはよくわからないものの、まあポイのおかげでぼくは猫缶代を稼げるからイイじゃん、と声には出さず心の中でつぶやいてみるが、花子にそれが伝わるわけもなく、移動させたのちに花子が発するフニャンフニャンという情けないが何やら主張のありそうな声音が遠くから聞こえてくると、仕事中心で毎日を過ごす自分が少々情けなくて、おまけに冷たい奴、冷ややっこのようなニンゲンになってしまったような気までしてしまうのが、悲しいといえば悲しいが、冷ややっこにいわし雲を見て感動するような余裕はないだろう、と考えてみると、こんなぼくでも、まあ救われる。
 
 夕食は「ぼん・しいく」で。本日初の外出。
 
 読書はしなかった。でも、仕事師ながらドストエフスキーのことは何度か考えた。彼の作品世界のことではなく、彼の書いた本を安く買うなら古本屋で世界文学全集でも見つけることかな、とかそんなことを考えていた。