わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

ゲロ風呂/複雑性という危うさ

 
 五時。この猫は、日の出の気配を察知すると腹が減るのか。そんなことを考えながら花子に猫缶を与え、蒲団に入りなおす。が十分もしないうちにまた起こされた。鳴き声で、ではない。噛まれて、でもない。引っかかれて、でもない。ゲロをされて、である。せめて床にしてほしかった。わが家の床はクッションフロアだから、直接吐かれても始末がしやすい。すなわち、今朝は始末のしにくい場所にやられたのである。すぐに起き上がり、ティッシュで拭うが、洗わなければだめだろう。毛布を風呂場に持っていき、シャワーで軽く食べたばかりだったはずの猫缶の中身を洗い流した。敷布団のほうにも被害は及んだ。シーツをはずし、こちらも風呂場に持っていった。寝直し、もう一度起きたときに風呂場に行ってみると、案の定猫ゲロ臭かった。
 雨は止んでいる。だが陽射しはない。空は均一的な、明るめの灰色。子どものころ、よくこんな色をパレットの上でつくったことを思い出した。空に浮かんだ雲の色を描くためだ。雲は白くない。そんな思い込みがあったか、それともたしかにそう見えていたのか。ちなみにぼくは、授業で「自分の手を描いてください」と言われ、青や緑まで使って塗ってしまったことがある。だが、先生からは叱られなかった。
 午前中は某ITベンダーのPR誌。午後からは某健康食品メーカーのイベント用シナリオ。夕方、フリーになったので散歩がてら「西友」や書店へ。諸星大二郎『諸怪志異(四) 燕見鬼』、吾妻ひでお失踪日記』、小阪修平現代思想のゆくえ』。諸星の作品は、六年ぶりの続編。吾妻の『失踪日記』は、ちょっと前に話題になった本人の体験マンガ。『現代思想のゆくえ』の小阪は、学生時代によく読んだ。懐かしくなって、つい買ってしまった。もちろん、ちゃんと読むつもり。だがそう思ってまだ読んでいない本が家には数十冊…。帰宅後、さっそく『失踪日記』を読みはじめる。

 松岡正剛『フラジャイル』。フラジリティの一端としての、「複雑性」。十年くらい前かな、複雑系というのがはやったけれど、それとおなじテーマか。「複雑性」、実は個人的にはかなり気になっていた題材ではある。事実や実在の相関関係は、歪みの増幅装置となることもある。昨日の大江の作品と絡めて考えると、その歪みこそ、古義人が探していた「徴候」なのだろう。極論を言えば、誰かがタバコをポイ捨てしただけで、巨大な暴力装置、核ミサイルの発射ボタンが押されることもある……これが、この「複雑性」がぼくらの生きる世界の本質だとしたら。
 
 

諸怪志異 4 燕見鬼 (4) (アクションコミックス)

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失踪日記

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現代思想のゆくえ

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