わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

長く噛まれる/枕を濡らす


 四時ごろだろうか。花子が枕元でフニャフニャと鳴くので、アタマを撫でてなだめようとしたら噛まれた。おふざけ程度に軽く噛まれるのには慣れている。残念なことに、逆上状態でガブリと力いっぱいやられるのにも、まあ慣れた。ところが今朝のはまったく違う。ぼくの左の手のひらの手首寄りのあたりを、ガブリと大きな口で噛んだまま、いつまで経っても離さない。軽く噛んでいるわけではないが、渾身の力を込めて、というわけでもない。抜けない程度に、力がこもっている。さてこんなときはどうしたらいいのだ。十秒、いや二十秒は噛まれっぱなしだったろうか。ゴメン、ゴメンとわけもわからず謝ってみたらようやく開放されたが、こんなことをするのは、まあおそらくは腹が減っているからで、大慌てでゴハンを用意してあげたら、ガツガツと食べ、そのあとはなんとか落ち着いた。が、六時ごろか、突然枕元に寄ってきたかと思えばゴロゴロと甘えはじめ、枕をザリザリと舐めはじめた。おそらく、寝違えのためにシップをしていたからだろう。変な臭いがすれば、舐めて取ってあげる。これは母猫の習性ではないか。だがぼくに母性を発揮されても困る。枕はよだらでびしょ濡れだ。枕だけ見たら、大昔のドラマに出てきそうな、夜中に蒲団の中でしっとりと泣く水商売だかなんだかの、男に見捨てられたかいいように使われているか、悲しい生き方をする女の使った枕みたいだ。 
 七時起床。朝一番で銀行に行き支払いなどを済ませてから、終日某ハウスメーカーのWebサイトの企画。妙に混乱しがちな案件。
 夕食はクリームシチュー。くりぃむしちゅ〜ではない。
 
 松岡正剛『フラジャイル』。複雑性のフィラジリティについての考察。知識を使った遊びとしてはおもしろいのだが、複雑性やカオスに「弱さ」を見いだし、さらにその弱さを過激さや危うさに結びつけようという考え。
 古井由吉「三人ゆうれい」。人間は五十になるまでに必ず一度死ぬ、そうでなければ魂がそのあとまでもたない……そんな話から、五十を過ぎた男三人の「死」の体験が語られる。