わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

合計三十匹

ケージの中で暴れる巨猫たち。

 五時三十分、花子に起こされ起床。その後何度もフニャンフニャンと大騒ぎされ、七時過ぎまでまどろみつづけた。意識の波のようなものがあるらしく、高いときには窓の外のすこしずつ白む様子がおもしろく思えるが、低くなれば興味対象は現実ではなく非現実、すなわち夢の中の何かに向かってゆく。ほとんど興味のない野球や自転車のパンク修理、顔も名前も知らない、だがたしかに高校時代の後輩らしい女性、杉並木がつづく田舎、そんなものの断片が、入れ替わり立ち替わり現れては、窓の外の白みにかき消される。
 九時起床。十一時三十分、カミサンと外出。浦安に住む「なまけ猫王国」http://www.catkick.com/namake/常連であるきゃらさん宅で、Tinnyさん http://plus.mods.jp/ 、みちみちさん http://yaplog.jp/michinyan5 、さんたろうさん http://santaro.parfe.jp/らと鍋をつつきながらオフ会。きゃらさん十一匹、Tinnyさん二匹、みちみちさん四匹、さんたろうさん十一匹、そしてウチが二匹。全部足したら三十匹である。猫話に花が咲くどころか、百花繚乱、狂い咲きである。きゃらさん宅の猫は、多すぎて全然把握できない。だがその多さが、当然ながら楽しい。ああ、これは百科事典をながめるときの楽しさに似ているな、と思った。十人十色ならぬ、十一猫十一色。おなじ種類でもみなちがう。違う環境に生きる猫たちの暮らしに驚き、そのおなじ環境の中にあっても大きく異なってくる個体差、すなわち個性を理解し、自分にとって身近でそれにもっとも似ている存在、つまりわが愛猫である花子や麦次郎らと比べ、さらにさらに理解を深めてみる。もちろん理屈ではなく、感覚と愛情、そして好奇心で深めてみる。そこから受ける刺激が、子どものころはじめて百科事典をめくったときの、あの感動に似ているようなのだ。だから猫オフ会はやめられない。でも、年内は忙しいのでこれが最後のオフだろうなあ…。人見知りする牡猫たちは絶対に姿を見せてくれないだろうからと、きゃらさん、「トラを捕獲しておきました」と、気を利かせてケージに入れて見せてくれた(写真)。巨猫が狭い檻の中で暴れるさまは圧巻。まさにトラ。
 十九時過ぎ、解散。「海猫亭」で軽く夕食。
 
 泰淳「ひかりごけ」を読みはじめる。カニバリズムをテーマにした泰淳の代表作であり、日本文学史に残る名作。作品前半の、語り手=後半の戯曲を書いた作家の心理というフィルタを通した風景描写に圧倒され、あとはそのまま、一気に「人食い」劇のシナリオへと流れ込んでゆく。